回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

タバコと時代は煙の向こうに

2011-08-31 15:35:01 | 町歩き・季節の日記・エッセイ・コラム

やむなく禁煙を始めて半月になる。

タバコを吸う姿でいちばん魅力的だったのは、男性ではわたしの父だった。

わたしが小学生の頃、父が吸っていたのは、たしかピースの両切りでそのあとショートホープになったと記憶している。

昔は「紫煙」と言われた如くタバコの煙はブルーがかった紫色で、その不思議なくゆり方を眺めているだけで夢の世界に誘いこまれるような気がしたものだ。

父が時々作ってくれる煙のドーナツみたいな大きな輪っかや、ポポポポと頬を突きながらオートメーションみたいに出てくる小さな可愛い輪っかを手品のように楽しんだものだ。

とりわけ仕事をしているときのタバコの持ち方と煙の吐き方に、本当にすてきな大人の男を感じたもの。

タバコを吸う姿でいちばん魅力的だった女性は、母の母(わたしの祖母)である。

墨田区向島の大きな質屋のおかみさんだった祖母は、タバコ盆を前に下町のキップ(気風)のよいきれい好きな人で、かなり年取ってからもきちんと毎日自分の部屋を掃除し、ビシっと着物を着て、空いた時間に美味しそうにタバコを吸っていた。

わたしがタバコを吸うようになったのは大学2年の夏くらいから。

合唱の合宿の休憩室で練習の合間に湖を眺めながら吸うたばこは最高だった。

それが発覚?したとき父は「吸い過ぎないように注意しなさいよ」と言っただけだったし、

母も同じであまり強く止めなかった。たぶん母もタバコの煙が好きだったと思われる。

若い頃、「若いうちの通り道」みたいのように、一緒に喫煙していた仲間(主に男性)たちも、殆どが今はやめてしまった。

日本人の肺も健康的になり、クリーンな空気の国になっていくのだろう。

それはいいことだ、うん、いいことなのだ。もうすぐまた値上げもあることだろうし。

タバコを吸う時のちょっとアンニュイというかデカダンティックな気分を捨てて、生きてゆくのはきっといいことなのだ。

70,80歳になってもタバコを吸う姿の魅力的な女性をめざしていたのだけれど、体の事を考えればこれはいいことなのだ。

この頃は、ろくさんが隣で吸ってもあまり気にならなくなってきた。

一番吸いたくなるのはひとりで考え事をしているとき。

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↑イチジクの甘煮。柔らかい歯触りと自然なピンク色のシロップが抜群!

この季節の定番であります


奥日光湖沼礼賛

2011-08-25 10:03:32 | 奥日光

北海道から帰って38、8度の熱を出し、病院に行って薬で抑え込み翌日奥日光へ。

なぜ無理をしてまで日光に行ったかと言えば、この土日は弟夫婦が1泊2日で義母を面倒見てくれる事が決まっていたから。

日光は、そこに別荘が欲しいくらいに好きな場所で年間4~5回は出かけるが、いつも日帰り。今回はこのチャンスを流すまいと1泊の予定を組んでしまっていた。それもホテルはお盆休みにもかかわらず、念願の中禅寺湖金谷ホテルが予約できていた。

201108131624000 ←中禅寺湖金谷ホテルロビー

着いた日は、赤沼茶屋から出る低公害バスで小田代(おだしろ)~千寿が浜まで行き、千寿が浜から西ノ湖(さいのこ)まで歩く。熱があってもやはり来てよかったと思える森閑とした雑木林の散策であった。

109 ←千寿が浜

シラカバ、ミズナラ、カラマツ、などが自然のままに生い茂る湿原の中を歩き、ふと横道にそれると、静けさが水に溶け込むかのような西ノ湖。人は殆どいない。

113 ←西ノ湖。

このシーズンで奥日光がこれだけ空いているということは原発放射能漏れの影響が大きいとか。放射線が栃木を取り囲む山々の位置の関係でここに集まるらしい。初夏に来たときも食堂や土産物店は閑古鳥が鳴いていた。

ホテルの夕食は素晴らしいフルコースだったが、扁桃腺が腫れてきたせいか、呑みこみが辛く美味しさ半減(涙)

2日目は、ひんやりとした中禅寺湖の湖畔を散歩したあと湯ノ湖を回り、金精峠を越えて群馬県側に出る。菅沼の神秘的な水の色、沼田盆地の広大な眺め、果物街道(別名日本ロマンティック街道)を楽しむ。、

118←朝の中禅寺湖。この水の色に惹きつけられて何度も何度も来てしまう。

123 ←金精峠付近から栃木県側の湯ノ湖を見下ろす。(真ん中の白っぽいのが湯ノ湖、正面の山が男体山)

まるでドイツのロマンテイッシュ街道の終点、フュッセン湖を見るようである。

金精峠は、母が若かりし頃奥日光を歩いてとても印象に残っている場所だと聞いていた。半世紀以上も前、母もこうしてこの景色を眺めたのだろうか。

127←群馬県側、菅沼のほとり。

なぜか2日目は体調良く、このまま喉の痛みも引くのでは~?と期待したりしたが

甘かった。


網走無情

2011-08-15 17:50:56 | 一泊以上の旅行記

8月11日(木)

今日もいいお天気!、運転2回目に挑みます

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このあたりは富良野や美瑛のように麦畑、花畑、野菜畑がパッチワークのように美しい景色を繰り広げる農作物地帯。畑に置かれた麦ロールが朝陽を受けて金色に光っている。

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運転したのはここから10㎞ほどの網走監獄まで。ナビを見ていたのに見事に通り越して網走駅まで行ってしまった~~+。

必死に戻って無事到着。しっかりパーキング!(駐車している車が殆どなくてラクチンだった)

監獄に入る。

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明治45年から昭和59年まで使用されていたが移築され、現在は博物館網走監獄となって一般開放されている。

獄舎であった「五翼放射状平屋宿坊」の建築様式が素晴らしい。

庁舎、独房、作業のための宿泊所、風呂場、食事風景、それらの部屋毎に蝋人形が置かれなかなか臨場感あふれる雰囲気である。ここの受刑者は北海道東開拓のために作業、道路建設は困難を極めたらしい。

(蝋人形の顔がなんとなく高倉健の顔に似ているような気が・・)

084作業中の宿泊小屋。

枕が一本の丸太!

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↑  獄舎の屋根の吊り金具を伝って脱獄する受刑者。実際にあった話。

映画「大脱走」のように脱獄のプロのような輩が何人かいたらしい。

入浴風景。

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てぬぐいを頭にのせているのが、なんだか温泉ほのぼの気分チックであるが

私語禁止、浴槽内の姿勢も規則あり、監視人もいる。

「悪い事はしない方がいいね~」と娘と言いあいながら、監獄を出る。

網走湖畔を散策、そこから女満別(めまんべつ)空港に着く。レンタカーを返して空港でお昼を食べ、少し遅れたAIR DOに乗り込む。

そうそう、知床で買った流氷ドラフトビール。飲むチャンスを逃して空港まで持ってきてしまった。飛行機はアルコールは持ち込めないし、「もう運転はしないからここで飲んじゃおう!」と栓抜きをレストランで借りてゴックン!相当にぬる~くなっているが爽やかな流氷のような味!(流氷がどんな味かはしらない^^;)

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娘は味はどうでも、このビールの色が見たい!と言うので瓶に一口だけ残してトイレに行き、洗面所のボールに空けてみた。紙コップがあれば問題はなかったのにね^^。

「おお~~美しい青碧色!」と排水孔に吸い込まれていくビールの色をみながらうっとりとしていた母娘であった。


知床旅情

2011-08-15 16:54:38 | 一泊以上の旅行記

8月10日(水)

さあ北海道初運転です!

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朝8時出発。

ホテルのフロントで知床への道はこの前の道をまっすぐですよね?と確認すると

「そうです、とにかくまっすぐまっすぐです」と即座に答えてくれた。北海道では「道=まっすぐ」のようだ。

速度表示があまり出ていないし、始めはゆっくり目にと運転していたらあとからあとからどんどん追い抜かれていきます~。それでも気にならないのはわたしだけ。娘は少々不安そう。

このとき気がついた。「若葉マーク」のシールを持ってこなかった事に

知床半島の東の入り口の羅臼までは約40㎞。

娘からは「もう少しスピードあげて!」「中央に寄りすぎ!」「アクセル遅いよ~」と再三注意される。

羅臼に近づき、なんとなくスピードも80Kmを出せるようになったら、霧が出てきた~~~~。

おまけにトンネルもある。霧がトンネルの中に入って来て中央線もよく見えん!

ひえ~~~ライトライト

霧とトンネルのダブル攻撃は生きた心地がしなかった。

↓霧の出始めた羅臼の町。

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ますます霧は濃くなりそうなので娘と運転交替。交替して知床横断道路に入った途端、嘘のように霧が晴れて緑の山並みが美しくみえてきた。

知床の東(根室海峡)、羅臼側と、西(オホーツク海)のウトロ側は峠を境にしてお天気が違うときいてきたけれど、本当にはっきりしている。

娘は山道カーブもルンルン気分で運転。

羅臼岳もくっきりみえてきました。知床峠で休憩。変なポーズの娘の後ろに聳えるのが羅臼岳。

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ここから一気に下り、ウトロ側に出る。山道の両側にはだだっぴろい草原が広がりシラカバも点在。シラカバに出くわすたびに千昌夫の「北国の春」をふたりで合唱してしまうのはなぜだ?

↓ハマナスも咲いていました。

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ウトロに下り、10時30分発の「知床クルーズ」遊覧船に乗る。

もちろん船内で流れているのは「知床旅情」なのだが、いつのまにか「羅臼の村にも」の部分が「知床の村にも」に歌詞が変わっているのはなぜかしら?歌っているのは加藤登紀子さんだけど・・。

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船から眺める知床半島。まるでくり抜いたような穴も波の浸食作用。硫黄岳から流れ落ちるカムイワッカの滝も見ごたえあり。

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約一時間のクルーズのあと、道の駅近くの海鮮丼&ラーメン屋さんで海鮮ラーメンを食べる。

この日は北海道でも珍しく暑く、冷房設備のない店内で熱いラーメンを食べたら汗だくになってしまった。

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ウトロから再び半島の内部に入りこみ、知床五湖まで走る。

広大な緑の波の中に湖が点在する観光スポット。ここは人も多い。

湖を周回する路上コースはレクチュアを受けないと歩けないので、わたしたちは木道歩道を歩く。緑の中にひっそりとたたずむ湖。鹿が水を飲みに来ていた。

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可愛い鹿さんをみたあと、観光案内所の食堂に寄ったら「鹿肉バーガー」ですと!う~ん場所が近すぎるなぁ。

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暑かったので、コケモモソフトクリームが美味しかった

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さて、もう3時過ぎていたので本日の宿泊地、網走湖畔まで行くこととする。

オホーツク海沿いの道路を走って行くうち、トンネルの出口で「オシンコシンの滝」の看板に出くわす。

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ちょっと関東の「袋田の滝」に似てるかな。

あとは、右に海、左に原生花園を見ながら(途中少し道を間違えたものの)無事にホテル「北天の丘あばしり湖鶴雅リゾート」という大層な名前のホテルに到着!

夕食後8時に就寝~。


さらばピアノよ

2011-08-06 23:29:21 | 西洋音楽・西洋文化・アート

・・という題名のピアノ曲がある。

20年ほど前に姪が保母さんになるための練習にと、しばらく市川の姉の家に置いていたが、
もう弾く人もいなくなって処分を考えていたところ、生徒の家でピアノを買いたいという話を聞き、それでは、と譲ることになった。

わたしがピアノを習い始めて初めて買ったアップライトピアノ。

50年以上前の古いピアノ。

フィリピン赴任の際も彼の地まで持っていったピアノ。

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今日は運送屋さんの来るのに合わせて立会いに行く。

3月の震災で動いたり、メトロノームが落ちて少々傷があったり、音はかなり狂っているが、
昔のものはしっかりした作りなので、磨いたり調律したりすればまだ当分は使えそう。

少し寂しい気もするが、これからのピアノの主となる生徒のwちゃん、kちゃん姉妹はとてもよく練習してくる子たちなので、譲り甲斐があるし、わたしがお世話になったピアノを生徒が弾いてくれるのはむしろ嬉しい。

弾いてこそピアノ、弾かなくなったらただの物置^^。

たくさん弾いて欲しいな

姉の家に行く前に運転初デビュー。義父のいる施設まで2往復。事故無し