5月1日(火)
今日から5月だ。
天候は昨日より少し持ち直し、暑くなる予感。ひたすら日焼けが恐ろしい。
昨日、サロンパスみたいな膏薬を買って足の甲に貼って寝たので本日は調子がいい。
が、無理はいけないので「枚方」から京阪に乗って「守口」の手前の「西三荘」(にしさんそう)
まで行く。
西三荘の駅を降りると、すぐに「パナソニック」の本社工場がどーんと広い敷地を構えている。
創業者松下幸之助の歴史記念館も併設されている。
松下さんは生まれは和歌山県だから、ここ門真市は後年になって本社工場を移転した地。
パナソニックを過ぎて角を曲がるともう守口市。
国道一号線を渡ったところに一里塚があるらしいが、それは確認できなかった。
その代わりにこんな銅像が~。
また国道を渡り返していよいよ守口の宿場、そしてこの「京街道」の礎を築いた秀吉の遺産、
「文禄堤」の地形の名残が最も残る貴重な地域である。
守口宿の入り口。右の家屋は今も商いをする傘&提灯屋さん。
本町橋、守居橋、の下は国道に通じる車道、昔はこの車道が川の流れであったことは言うまでもない。
淀川も時代の中でいろいろ変遷を重ねたのだろう。それに連れ、また現代の世の中の流れの移り変わりによって文禄堤もその姿をとどめえなかったのはそう珍しい事ではない。
さて、「文禄堤」を降りて道標を過ぎ、もとは川の底であった国道一号をしばらく歩く。
町の名前も「日吉」「豊秀」などが続き、秀吉のお膝元にはいってきたという感を強くする。
やがて今市の交差点。
このあたりから道には京街道の「つたい石」が埋め込まれたいへん歩きやすい。
左の道に入り森小路(もりしょうじ)商店街を抜ける。
関目の交差点を都島通りへ渡り、城下町特有の曲がり道(関目七曲り)をいくつも通り、
再び国道に出ると、沿道の旭国道商店街なるものが現れ、食料品、テント飲み屋などが連なる。
こんな看板の店もあり、思わず笑ってしまう。「ピンポン」が「ピソポソ」になってるし^^↓
野江の交差点を過ぎてさらに歩くとJR、京阪、東西線が交差する京橋の駅へ着く。
江戸時代まではこの京橋が、京街道(東海道五十七次)のゴールであったらしい。
家康の時代からは、もう少し西の高麗橋が基点となっている。
しばらく京阪の高架下に並ぶ商店街を眺めながら歩く。
やがて東京の丸の内のようなビジネス街、片町に入り、淀川の支流畔からは
大阪城が眺められる。
五十三次で京都に着いた時と同じように「よくここまできたものだ」と感慨にふける。
左に天満橋の船着き場(昔の八軒家)がある。橋の上にのぼってみると淀川(大川)の
大きな流れが緑の川岸の真ん中を滔々と流れる。
↓ 天満橋船着き場近くから天神橋を望む。
淀川から分かれるたくさんの掘割、用水。
大阪はこんなに水運によって栄えた街かといまさらのように思う。
熊野街道への追分標識などを通り過ぎ、中之島公園の左岸に入り込む
水路,東横堀川に架かる高麗橋に遂に到着!!
里程元標は正しくここが京街道(東海道)の基点(起点)であると書かれてある。
しかし、長い道程の基点にしては阪神高速道路に蓋をされて、さながら江戸の基点
日本橋と同じく、空は見えず、暗い道路の下道にすぎない。
思えば、京都三条大橋の上は「あっぱれ!」と言わんばかりに冬の空が広がっていた。
時代は移る。
まあ、東海道五十七次、無事に歩いた事は何にもまして楽しい思い出になる。
またどこかの誰かが、東海道は本当はもっと続くよ~、なんて言わないでしょうね^^;。