回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

中仙道⑩岩村田~塩名田~八幡~望月

2015-08-31 21:25:39 | 中仙道(中山道)

今回は昔の人も難渋したといわれる和田峠を越えなければならない、ということはどうしても2泊は必要。

なぜなら前回歩いた岩村田から和田峠を越えた下諏訪まで鉄道の交通機関が全くないからである。バスはあっても非常に本数が少ない。

しかし、それだからこそ、素朴で静かな宿場の姿をかいまみることができた思い出深い旅である。

8月28日(金) 晴れのち雨

8時13分上野発新幹線「はくたか」で佐久平9時35分着。

佐久平の駅舎、立派になったのね~~@!

中央線で小海線に乗り換え岩村田に直接行くアクセスもあるが、新幹線の倍ほど時間がかかる。

佐久平から少し戻るような感じで15分ほど歩き岩村田の街道筋にでる。踏切を渡り歩いていると見る間に青空が広がってゆく!

岩村田の駅舎は小さい。

 

曇りか雨の予想だったので嬉しい誤算である。

 

立派な浅間病院や皇女和宮降家のとき野点をしたといわれる相生の松を過ぎる。

何と書いてあるのか読みずらいが、曲がり角にある相生の松。

根々井塚原の集落に入る。

このあたり街の用水は梅花藻が漂うほど美しく、のどかな水田と花々の景色がすばらしい。

りんご畑も広がり、その実はもう薄い紅色に色づいていた。

水、稲穂、りんご、見渡す限りの緑と山々・・

豊かさというのはこういうことをいうのではないだろうか。

是非このあたりに住んでみたいものである。(根性ないので3日ともたないだろうけど^^);;

うっとりしながら進む。

佐久地方は馬の産地でもある。

重要文化財になっている駒形神社。ひっそりとしている。

まもなく塩名田。千曲川を控え当時は賑わったのだろう、旅籠は多くあったようだ。

本陣は残っていない。わずかにこんな標識。現在はスーパーになっていた。

千曲川に近づいたあたりに和菓子屋さん。

鮎の形の「こうせん」(?お店のおばさんがそう云っていた落雁のような麦焦がしのようなお菓子)と「鯉最中」を買い歩きながら食べる。

鯉最中は中にみっちりアンコとクリが入っていておいしい~(^^)☆

そうそう、佐久は鯉の産地でもある。

千曲川を渡る。渡ったのはもちろん奥の赤い橋。

馬の産地であったことがバス亭の名前からもわかる。

崩れ落ちそうなバス亭の中はこんなレトロな宣伝が!

八幡宿に入るとすぐ立派な山門の八幡神社。

彫り物が見事。

八幡宿を過ぎるとやがて国道142号線と合流。もう12時を過ぎている。

どこか食事処はないかと探していたら前方に「くまちゃん食堂」という看板を発見!

いつも街道歩きで苦労するのはお昼の場所だが、今回は食べたいときに食べる場所!ありがたいことである。

ちょっと可愛げな店構えだが、地元の人々でにぎわっている。

そしてランチタイムはお漬物とくだもの自由に取ってOK!!!

トマトとスイカが超旨し(^0^)VV

冷やし中華を注文して腹ごしらえは充分、国道を横切って百沢集落に入る。

昼下がりの街道にはだあれもいない。

長坂石仏群を右に見て

 

坂を上がってゆくと瓜生坂のてっぺん。この標識を左に下る。

実はここでまっすぐ行きそうになって近くの畑のおじさんに道を教えられた。

14時ちょっと過ぎに望月の宿に到着。マンホールはお馬さん。

地名の望月というのは、望月(満月の日)の日にここで生育した馬を朝廷に差し出す日であったことが由来となっているそうである。

そのあたりの歴史や文化を懇切丁寧に教えてくれるのが本陣を改装して建てられた「望月歴史民俗資料館」↓・宿場の中ほどにある

ここの係員さんは歩いてきた塩名田宿のむかしの旅籠、佐野屋さん(写真は上に掲載)のご子息でここまで来てお仕事をしているとのこと。

馬にちなんで小諸馬子唄の元歌を尺八で吹いてくださる。

他には誰もいないしこの小さな宿場の一郭でこんな演奏が聴いているのがなんとも、不思議な感覚。

モンゴルの馬頭琴が置いてあるのも馬の産地である由縁。

16時30分頃 資料館を出たら小雨が降ってきた。

街の中をぶらぶら散策して本日は「井出野屋」さんで宿泊。

宿場時代は旅籠でなく料理屋であったらしい。

夜は、馬刺し、行者ニンジンなどのの地野菜の天ぷら、鯉の煮付け、手打ちのそば・・など。

 

映画だったかテレビだったか「犬神家の一族」のロケに使われたというこの旅館。

ご夫婦ふたりで仕切っているらしい。

黒光りする廊下や階段、障子で仕切られた部屋。夜中トイレにいくのがちょっと怖かった;;

 夜中に雨音が大きくなる。明日が不安。

今回の歩行距離:約12㎞

京都まで約349㎞


着物の匂い

2015-08-26 11:01:05 | 町歩き・季節の日記・エッセイ・コラム

絹の匂いなのか、防虫剤の匂いなのか、におい袋の匂いなのか、大事にしまってあったからなのか、

わからないけれど、着物はいい匂いがする。

虫干しのために干しておくだけでもいい匂いがする。

もしかしたら母の匂いなのか。

わたしがいなくなって、この祖母や母からの着物が残ったらこの匂いも受け継がれていくかしら。

昨日あたりから東京は涼しくて気持ちがいい。

扇風機なしでもアイロンがかけられる。少し前は、あんなに夏が好きだったのに、今は秋風が吹くとほっとする。

ハンカチでも衣類でも、アイロンをかけたときにふわっと漂う匂いも好き。(もちろん柔軟剤ではありません^^)

子どもたちが赤ちゃんの頃、泣いたりぐずったりしていると、おむつにアイロンをかけたものだった。

もちろんその頃は布おむつ。

長男の生まれた頃はまだ、母が古い浴衣などをほどいて作ってくれたおむつがあった。

子守り歌でも歌いながらアイロンをかけていると、こどもたちは泣きやんで静かに寝てくれたものだ。

アイロンと布と少しの蒸気の匂い。

それが母親のわたしを落ち着かせてその穏やかな気分がこどもたちに伝染したのかもしれない。

匂い・・嗅覚は視覚や聴覚よりもっと原始的な感覚。

 

 (写真は昨年のもの)


沖縄縦断&久米島へ・4日目

2015-08-09 19:11:47 | 一泊以上の旅行記

8月6日(木)晴れ

朝、ビーチを散歩。歩きだしたらすぐにミニスコール。台風の影響か波が少しある。

が、ものの10分も経たないうちに青空!

終日の今日は、久米島絣の工房「ゆいまーる」」(ゆい=結ぶ)館と米島の泡盛酒造を見学の予定。

小さな島なのでどこに行くにも便利。

久米島絣はカイコを育て絹糸を採り、たくさんの草木で染め上げ、織り紡いでゆく工程は原料は違っても芭蕉布と同じように手のかかる仕事である。

http://www.kume-tumugi.com/

作業場は撮影禁止だが、何人か家事や畑の仕事の空いた時間に地元の主婦たちがやってきてゆったりとその日できる分だけ織ってゆく。
見学していると、

「ここはこうやって織ってゆくのです」、

「わたしは今この部分を織っているのよ」

と気さくに声かけしてくれる。

それでも糸を繰る人は減っていていつまでこの絣が受け継がれてゆくのかわからないと云うことであった。

 

こういう作業場は風が良く通る。

かすかに草の匂いのするほかは、光のようなしずかな風が吹き抜ける。

作業場の庭にあった「ティカチ」(シャリンバイ)の葉。これも染料の一つ。

次に行った米島酒造(泡盛【久米島】の製造所)は久米仙の工場に比べると小さく、半手作りの酒造である。

http://www.yonesima.jp/index.html

ちゃんと内部見学ができ、説明をしてくれる。撮影は禁止。

黒麹を蒸す匂いが立ち込めて蒸し暑い。

試飲してみると、当たり前だがやっぱり年代物は美味しい。

人間も年とればとるほど味が出てくるのと同じである(^^);

 

 このあとはお土産を地元のスーパーで買ったり、空港でお昼を食べたりして久米島を13:30に発ち、那覇空港で15:00発のJALに乗り換え

羽田に着く。

 

なお久米島から羽田までは一日一便、直行便がある。

 

たぶんハテの浜を目玉に島をアピールするのが目的だろうが、海水浴だけでなく、歴史や文化、人々の生活にを触れる旅もまた心に強い思い出を遺してくれるだろう。

また来る日まで、あの静かなサトウキビの畑、青い青い海が残っていますように。

 


沖縄縦断&久米島へ・3日目

2015-08-07 23:17:57 | 一泊以上の旅行記

8月5日(水)

午前中は那覇の国際通りを冷やかす。

国際通りのブルーシールアイスクリーム店、そしてその横の駐車場が20年前に行ったときと変わらずにあるのにちょっとびっくり。

 

12:10分発のJTAで久米島へ。

飛行機で30分ほどで到着。

眼下に広がる海原とそこに浮かぶ小島の数々は慶良間諸島か。

本日の予定は「ゆったり」である。

 

小さなレンタカー屋さんで車を借り、まずお昼を食べる場所を探す。

ナビはあるけれど、なんだか同じところをグルグル回っているような気が・・。

小さい小さい何もない島である。

見つけたのは島では大きいお店「竜」、やっぱオリオンビールね☆

これはヒラヤーチー、沖縄風チジミみたいな感じ。シンプルで美味しい。

 

そのうちに見渡す限りのサトウキビ畑が見えてくる。遠くは海。

車を止めて畑の道を歩く。

ほんとうに海からの風がサトウキビの葉を揺らしてあの音を奏でる。

「ざわわざわわざわわ・・・」

わたしたちが歩くと無数のバッタが畑から飛び立つ。

心の中も静かにしたくて、歌を思い出すまいとしてもどうしても「ざわわ、ざわわ・・」が浮かんで自然に歌ってしまう。

誰もいない。

ひとしきりざわめきにうっとりしたあと、泡盛「久米仙」の酒造場へ。高台にある。

沖縄泡盛がタイ米から作られているのを初めて知った。

少しづつ試飲。年数がたったものはうーむ、すごい、とろ~~り。

久米島は何もない島と書いたが、最近は、すぐ西にあるハテの浜がスキューバダイビングの人たちに人気があるらしい。

コマーシャルにも何度か登場する白い砂州のようなところ。

船で15分ほどらしいが、日除けの場所もなにもなく一度行ったら帰りの船は3時間後ということで、もうすでにここまで日焼けしてこのうえ

さらに日焼けの上塗りは怖い。なのでバンタ(崖のようなところ)の展望台から見下ろす。素晴らしい眺め!

白い筋のように見えるのがハテの浜。

亀甲の形をした畳石。

今日はあまり観光はせず、のんびりしようという計画だったが、やはりいろいろ見たくなってしまうね(^^)

4時頃にホテル着。

さっそくプールでひと泳ぎ。久しぶりで泳いだ。実に爽快!!!

 

プールサイドで寝そべってけっきょく陽に焼け、海洋深層水を使ったお風呂に浸かる。

よくこのサトウキビの島にこれだけのホテルを建てたものだと感心。

夕陽が落ちるころ、ビーチサイドで軽く食事。気分は最高。

手前はトビイカといってこちらで獲れるらしい。

きびきびタッタと動き回るウエイターさんがサービスをしてくれる。

あまりにきちんと応対してくれるので感心していろいろ話を聞く。

福岡出身で、インドを放浪旅したあと、いろいろな世界を見たいと日本各地を回って修行しているらしい。

日本が終わったら世界に出ていきたいと、頼もしい好青年。

島の夜は時間はたっぷりある。

シーサーの色付け体験もしてみる。

波音もきこえないほどの静けさ。

 


沖縄縦断&久米島へ・2日目

2015-08-07 20:51:16 | 一泊以上の旅行記

8月4日(火)晴れ

水平線がややぼやけているけれど青空!

今日は予定が盛りだくさん。

ホテルのある本部半島の北西、今帰仁(なきじん)城を見学→喜如嘉の芭蕉布工房→沖縄最北端の辺戸岬→(南下して)海中道路を走って伊計島→豊見城のホテル。

今までの沖縄旅行は石垣、宮古、西表、など島へ行くことが多かったので今回は本島をよく見てみようという計画。

特に沖縄の歴史。

今帰仁城跡。

世界遺産になったらしいがあまり人はいない。

ここは沖縄海洋博のときに緑の山の中から発見された遺跡。

なんでもない自然の中にすごいものが埋もれているものである。

城(グスク)の城壁は万里の長城を彷彿とさせる大きさであり、本島にあるいくつかのグスクの中でも百曲がりの城壁は威風堂々、はるかに青い海を臨んでいる

無料ガイドのおじさん。

「子どもの頃はこうして遊んだよ」、とハイビスカスの花びらを摘んで表裏に開き、鼻の頭に乗せて「ニワトリのとさか」と見せてくれる。

同行の娘もやってみる(^^)

おじさんはわかるように話してくれるのだが、やっぱりウチナーグチ(沖縄の方言)が多く、それがかえってとても心地よかった。

今帰仁は戦時中は疎開地であったらしいが、やはり最後は攻撃の弾はここまで来たらしい。

この後、前回も行った喜如嘉の芭蕉布会館へ。

http://www.bashofu.jp/environment.html

風の良く通る石造りの作業場には何人かの女性がトントン、と機を織っている。

作業場は撮影禁止。

芭蕉布はこの地域に育つ芭蕉の茎から採り糸を繰り、草木で染め、干し、織り、こすり、気の遠くなる工程を経て仕上がる。

戦前は娘がお嫁に行くときは必ず芭蕉布で作った着物を持たせたらしい。

もはや原料の芭蕉も少なくなり糸を繰る人も減っているという話。

 外に出るとますます太陽は照りつけ芭蕉の葉がそよぐ。

近くの公民館からは「芭蕉布」の歌が聴こえる。

 さてここから最北端辺戸岬へ。

途中、道の駅「ゆいゆい国頭」でお昼。

娘が頼んだ「中身汁」・・豚のいろいろな内臓が入った塩味のスープ定食が妙味であったらしい。

道の駅から約一時間で辺戸岬。

ここに復帰記念碑があるのかと初めて知った。なんたる不勉強。

まさに。

沖縄の人々はニライカナイ(海の彼方にある楽園、そこからやってくる神)を古来から信じているのだ。

この空と海のまざりあう美しい青の世界、でもその向こうには本当に楽園があるのだろうか。

やってきたのは戦いや台風ばかりではなかったのか。

それでも島の人々は静かに海を見つめながら今日も暮らしている。

岬から南下の途中、ちょっと回り道して義本王の墓。

誰もいない。激しいほどの静寂の中。苔むした古代王の墓。

ちょっとしたパワースポットである。

この北部地域はヤンバルクイナの生息地。ときどき道路に出て来るらしい。

伊計島まではけっこう長くドライブ。

 

許田の道の駅を過ぎ沖縄北インターを降り街中を抜け、海中道路(殆ど引き潮で海の中を走っている感じではなかった)を走る。

途中、こんな注意書き。

ハブクラゲ・・・おそろしそう・・・、

ビーチに着き海水浴客とは反対の入り江に出るとここにもグスクが・・。

ヤドカリさんと遊んで本日の宿泊地、豊見城のホテルへ。7時過ぎでも充分明るいのが嬉しい。