回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

「3時の名画座」

2009-09-16 22:29:49 | 映画

友人(合唱仲間のOさん)に借りた「野ばら」のDVDを見る。

1957年ドイツで制作された映画で、わたしが初めて見たのは小学生高学年か中学生になった頃テレビの「3時の名画座」で放映されたとき。

「3時の名画座」は2日間だったか3日間だったか連続で同じ映画を午後3時から放送する素晴らしくありがたい番組だった。

「野ばら」はハンガリー難民の孤児トニーが主人公。

一匹の犬とドイツに逃れ来て、人の好い元ドナウ川汽船の船長だったおじいさんにひきとられ、その美声を認められてウイーン少年合唱団に入団して、母親への思慕止まず哀しい試練に遭いながらも、周囲の人々の優しさに支えられて成長してゆく。

・・というようなあらすじで、現代からみるとなんとも穏やかで他愛ないシナリオだと思うのだがこの映画を見た当時12,3歳で思春期入りたてのわたしには、合唱団の歌声やストーリー展開やアルプスの山々の景色に感動の連続であった。

おそらくウイーン少年合唱団の存在を知ったのはこの時が最初だったし、音楽を扱った映画ではこのあと封切りされた「サウンド オブ ミュージック」と共に強く印象に残っている。

それにしても「3時の名画座」ではずいぶんたくさんの映画を見せてもらった。

「双子のロッテ」、「菩提樹」、「女優志願」、「制服の処女」・・・時間帯が小学校から帰る時間なので子ども向けの映画が多く、わたしと同年代の人ならかなり憶えているのでは?と思うがネット検索してもあまり出てこないし、知っている人もあまりいない。

古い映画なのでTUTAYAを探してもないし、あれから40数年経ってもう二度と「野ばら」を見る機会はないとあきらめていたので、友人が偶然に先日テレビ放映されたのを録画してくれて貸してくださったことに感謝感謝☆


市川~目黒~八広~曳舟

2009-09-06 00:17:28 | 町歩き・季節の日記・エッセイ・コラム

4か月の短期出張で札幌に行った次男夫婦。

あちらではウイークリーマンションに住むことになった。

が、普通なら備品として置いてある炊飯器や鍋フライパン類がないらしい。

昨日朝、市川の彼らのアパートの台所からそれらを探し出して札幌に送る。

曲がりくねった狭い道で車をブロック塀にこすり、おんぼろのフィットがさらに傷だらけになる~

帰宅してすぐ目黒へ合唱練習。

目黒は若者でいっぱいである。

帰り、地下鉄の中が冷房利きすぎで寒くてかなわないのと、日頃の運動不足解消に

四ッ木の一つ前の八広で降りて家まで歩く。

四ッ木と八広は荒川を挟んで葛飾区、墨田区に分かれているが双子のような駅。

八広駅(元の駅名は荒川駅)側は首都高がないからか、高架になっても駅の周囲に昔の面影を今も残している。曲がりくねったこういう道を夕方歩くと「魔が刻」というものを感じて、心にざわめきを覚える。

木根川橋を歩いているとすこし生ぬるい川風が心地よい。

橋の欄幹からゴトゴトと走る京成電車を眺めていると、現実世界から別の次元に心がワープするような不思議な感じがするのはなぜだろう。この景色の中にもうすらぼんやりとどこかに「魔」がいるようである。

帰宅して曳舟まで夕飯を食べに出かける。

電車に乗っているときは迂闊にも見過ごしていたが、この駅も高架になるため工事中で下りは従来のホームの後ろ側に仮設ホームができている。

いつも古いものが壊されてから写真におさめておけばよかった、と後悔するが今回も然り。

東武線東向島(元の駅名は「玉ノ井」)にある贔屓のイタリア料理店で2時間半かけて食事したあとは、表通り(明治通り)を避けぶらぶらと裏道を歩く。

空にはまあるい月に付き添って明るい星がひとつ。道端の草むらではもう虫の声。

妙に気分が踊っては静まり、静まってはまた踊りだしたくなるような夜の下町散歩であった。


「20世紀少年」

2009-09-03 22:58:11 | 映画

娘に同行して映画「20世紀少年」を観に行く。

第一作、二作目に続いての最終回。

内容の大半は、子供騙しのストーリー展開ではあるけれど、エンドロールの後部分が見どころ。

人間は、なあんにも意識しなくても友達たくさん作れる人間、ちょっとばかり神経が細くてなかなか友達に馴染めない人間、との二通りに分かれるかな?

その生まれついての性格もどこかで何らかのきっかけで変わり得るもの。

トヨエツがカッコ良かった。