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回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

中仙道の記録・ダイジェスト版

2016-09-21 13:06:23 | 中仙道(中山道)

 

2014年1月13日日本橋出発から2016年9月17日三条大橋到着まで六十九宿の道のりの記録です。

迷ったり道草をしたりしている箇所があるので距離数は正確ではなく概数です。

したがって、中仙道のいわゆる「距離537㎞」とはかなりかけ離れています。

むかしは宿場でも現在は旅籠のないところが多く、また距離の関係からやむなく宿場以外にも宿泊。

赤線の字は宿場以外の宿泊です。

基本的には夫とわたしのふたりの旅路でしたが、ほかに碓氷峠越えで3人、美濃路の十三峠越えから関ヶ原あたりまで2人の道連れに恵まれました。

各街道筋の詳細は、カテゴリーの「中仙道」を参照の事。

 

2014年 

①1月13日  日本橋~板橋~蕨~浦和     25㎞

②2月11日  浦和~大宮~上尾          17㎞

③3月 9日  上尾~桶川~鴻巣~熊谷      28㎞

④12月28日  熊谷~深谷~本庄          22㎞

 

2015年 

1月 4日 本庄~新町~倉賀野~高崎      23㎞

>⑥3月 8日 高崎~板鼻~安中~松井田 (西松井田)   22㎞

>⑦6月13日 松井田~(横川で泊)               7㎞

>⑧6月14日 横川~坂本~(碓氷峠越え)~軽井沢   18㎞

山ヒルの恐怖を存分に味わう。

>⑨7月18日   軽井沢~沓掛~追分~小田井~岩村田   19㎞

>⑩8月28日   岩村田~塩名田~八幡~望月(泊)      18㎞

">>⑪8月29日 望月~芦田~長久保~和田~

  ~男女倉(和田宿には宿泊所が皆無なので民宿の車で引き返し、翌日歩く)~長久保(泊)  10㎞

公共の交通手段は無し。

>⑫8月30日   長久保(バス)~和田(男女倉)~(和田峠越え)~下諏訪        21㎞

土砂振りの和田峠は危険で下れず、やむなく国道を迂回。

>⑬9月21日 下諏訪~(塩尻峠越え)~塩尻~洗馬(泊)      20km

塩尻峠は暑さも手伝って意外に苦戦。

>⑭9月22日 洗馬~本山~贄川~奈良井      20km

木曽路にはまさに山の中であった。

10月10日 奈良井(東京を夕刻に発ったので夜に到着・泊

>⑯10月11日 奈良井~(鳥居峠越え)~藪原~宮ノ越~福島(泊) 20km

">>⑰10月12日 福島~上松~須原          25㎞

10月31日 須原~野尻~(柿其渓谷(泊    7㎞

11月 1日 野尻(柿其)~三留野~妻籠~(馬籠峠越え)~馬籠(泊) 20km

歩くなら秋がいちばん。

11月 2日 馬籠~落合~中津川~大井       18㎞

12月27日 大井~(街道ではないので電車と車で移動、岩村~根ノ上に泊)span>

12月28日 大井~大湫~(十三峠越え)~細久手(泊)   19㎞

初冬の十三峠は心地よかった。

12月29日 細久手~御嶽~伏見~太田      24㎞

2016年

3月23日 太田~鵜沼~(各務原に泊)    18㎞

美濃路からは地名も知らぬ未開の地

 3月24日 (各務原)~加納~河渡~美江寺~赤坂  27㎞

5月28日 赤坂~垂井~関ヶ原~今須~柏原~(大垣に泊)  19㎞

5月29日 (大垣から電車)~柏原~醒ヶ井~番場~鳥居本~高宮  16㎞

醒ヶ井の水の美しさは格別。

7月17日 高宮~愛知川(泊)   8㎞

近江路の人々の人あたりの柔らかさは特筆。

㉙7月18日 愛知川~武佐~守山 ~草津   32㎞

半分熱中症、真夏の歩きは控えた方が賢明。

㉚9月17日 草津(旧東海道と合流)~大津~京都三条大橋   26㎞

京都は若い人々で大混雑。


中仙道を歩く㉘草津~大津~京都三条大橋

2016-09-21 08:54:28 | 中仙道(中山道)

9月17日(土)曇り

いよいよ長かった中仙道中も最後。

台風14号だの16号だのが絶え間なく襲来しているが、この連休を逃してはもう今年中にはたどりつけないであろう、と意を決して決行。

東京駅6時26分発の「ひかり」に乗る。

米原で乗り換え、前回歩き終わった草津へ着いたのが10時少し前。

陽は射していないが湿度がとんでもなく高い。新幹線を降りた途端メガネがうっすら曇る。

草津名物「うばが餅」・・本店に寄る時間を省略して駅のコーナーで求める。

アーケードを少し行くと、懐かしい東海道と中仙道の追分道標。

南の石部からあがってきた旧東海道と守山から続いた中仙道とがここで合流し、中仙道は東海道に吸収合併する形になる。

だから東海道を歩いてから中仙道を歩く人はここでおしまいとすることも多々あるが、わたしたちは、とりあえず京都まで歩いた。5年前に歩いた東海道とどこが変わっているか確かめるためにも。

前回宿泊した旅館のある瀬戸唐橋でちょうどお昼。

橋のたもとのうなぎ屋さんでひつまぶし風のうな丼(あちらではまむし丼を食べる。

さっぱりしたたれのかかったご飯の下を掘ってみると、(^^)パリパリした皮のうなぎが出てくる。

 

ここから琵琶湖の南をなぞるような感じで膳所(ぜぜ)や大津のしっとりとした街並みを歩く。

午後になって湿度はさらに上がってきたような感じ。わたしはあまり汗をかかないタイプだがじっとりぬらぬらと額に汗。

やたらと水分を摂りたくなるので半分熱中症にかかったのかしら?

大津のJR線と高速道と国道がせめぎあっているだらだら坂に入り、相当エネルギー消耗。

こういう自動車ブーブーの国道が無かったらどんなに歩きやすいだろう。

蝉丸神社を過ぎて逢坂山の関の碑。

「これやこの ゆくもかへるもわかれては しるもしらぬも 逢坂の関」

前に歩いたのは冬(大晦日)だったので暑さは感じず楽だった。

やがて山科~日ノ岡集落、左に京都蹴上浄水場が見えるころから下り坂になってホッ。

このあたりから人の姿が多くなり、夕暮れが薄暗くせまって来て京都の三条通りの町並みに入ってくる。

観光客にもまれながら、山から出てきたような、くたびれた風体のおっさんと

汗でお化粧もすっかり落ちてしまったおばさんふたりで三条大橋に到着したのは

ちょうど18時。

彦九郎さんとも2度目の再会。

ゴールインして胸にこみ上げたの感慨よりむしろ「もう、これで歩かなくて済む~!」という想いであった。

本日の歩行距離:約26キロメートル。

かくして2年9か月にわたる長い中仙道歩きは終わったのであった。

はじめたことは最後まで。、と自分に言い聞かせながらも疲れて途中何度も放り出そうとしたし、

土砂降りの峠道、夏の酷暑、ヒルの襲来、迷い道・・かなり苦しい場面もあったが、思い出せば楽しいことばかり。

右左右左と足を出していたらどんなにゆっくりでもゴールに着きます。

ここからまだいろんな道が枝分かれしているでしょうが、

しばらくゆっくり休んで、また知らない道を歩きたくなる日が来る日を待ちましょう。

日本の忘れ去られそうな道幅4メートルほどの旧街道の曲り道、路地、美しい水の流れ、土地の言葉、

歩かなければ知ることのできなかったものです。

 

途中を同行してくださった方々、見知らぬ土地で出会ったたくさんのやさしい人々に心から感謝いたします。 

 残り2日は混雑を避け、北野天満宮、西陣の街並み、大徳寺、下賀茂神社、上賀茂神社を観光して帰宅。

京都自体も大きく変わりつつあるなあ、と思いました。

 

 

 


中仙道を歩く㉗ 愛知川~武佐~守山~草津

2016-07-20 11:44:55 | 中仙道(中山道)

7月18日(月・祝) 晴れ!

国道沿いの宿だったので、車の音がうるさくちょいと寝不足気味。

きちんとした朝ご飯をいただき、宿のおじさんおばさんに「暑いですけど気を付けて」と、お見送りをいただく。

7時10分、宿を出発。

なんとなんと真っ青な空でございます。天気予報は全く当たっていない・・。(><)

休日の朝なのに車が多い。

まず愛知川を渡る。

中仙道とは少し離れるけれど、橋を渡り終わってしばらくのところを右に曲がり

昨夜、宿のおじさんが推奨してくれた近江商人の街並みが続く五個荘に寄ってみる。

映画のロケ地に出てきそうな静かな町。大城神社の神社の境内の荘厳なまでに静かなこと。

町並みの外れには青々とした田圃。陽射しが暑い。

街道に戻って武佐に向かって歩く。

国道と街道がくんずほぐれつ出入りしていて車をよけるように歩かなければならないのが悩みの種。

この車の往来がなかった宿駅時代なら、歩くにはどんなに気持ちが良かっただろう。

静かな道筋に入るとホッとする。

水はそんなに冷たくないけれど、ほんのり甘く柔らかくやはり名水みたい。

 

 おお、知ってる地名が出てきた。

新幹線のガードをくぐり、奥石神社の立札の前を曲がる。

如何にも歴史の町。古銭のマンホール。

老蘇神社を通り過ぎる。(奥石も老蘇も「おいそ」と読む)

いろいろな歴史の層がミルフィーユのように重なっているようだけれど、森を開いた後には新しいきれいな住宅が

ずらりと立ち並んでいた。

やがて「野洲」の標識。

少し疲れてきたかしら、と思うころ道の脇に「店頭のものタダで持って行ってください」

と書かれた貼り紙のある小さいお店を発見。

物色していたら店のおじさんが「中にもいろいろありますよ」、と声かけてくれる。

ほんとにすごい品数。質屋のお蔵からすべて出してきたみたい@@

着物から陶器磁器お茶道具時計やらひな人形から五月人形・・・・。

土地柄だけに年代物が多い。

おもしろかった!

おじさんは「またお寄り下さいね」と近江弁で云ってくれたが、街道を歩いていなければ絶対に来ないであろう一度限りの地。

一期一会である。・・ということで、

古い近江上布の端切れと備前の小さい急須、おちょこ、など500円に値切って買いました(^^)

このお店から一キロほどで武佐の宿。

家々の前には上布ののれんや吊り灯籠が下がっていて穏やかな宿場通りである。

 

道角の無料休憩所が閉まっていたのががっかりであった;。

 

宿場を抜けると近江鉄道の武佐駅。しばしベンチで休憩。10時頃。

改札口のちかくにあった中仙道図。

湖東の鉄道はかなり複雑に入り組んでいる。


あ~、東海道歩きのときはこの南の方の水口(みなくち)から上がって来たのだった・・と懐かしい。

住友商事の前身も近江商人だったのね。

さて、11時半。

少しお腹が空いてきた。

再び国道8号に出た。またすぐに旧道に入るのだけど、旧道には殆ど食事処がないと思われるので

国道沿いを探すと焼肉屋さんを発見。

近江牛の焼肉!!!美味しかった(^^)

あまり量は食べなかったので割合安上がり。

暑いけれど元気百倍になってさらに進む。

 

 ときどき茅葺の屋根が街の中に残っているけれど、このへんでは貝殻が茅葺の間に埋め込まれている。

近江牛の肉屋さん。

 

午後の陽射しはますます強く、もう顔を出しては歩けない!というわけでイスラムの女性風にストールを顔から首に巻きつけて日焼け予防。

焼け石に水だけどないよりまし。

武佐から次の宿場の守山までは13㎞チョイ距離があって中仙道では間隔が長い。

近江路は新幹線とほぼ並行しているので、ゴーーッと音がして横を見ると広々とした田圃の向うに真っ白な車体が爽快に走っているのが見える。

旧道は日野川の渡しがないので土手を迂回するように回り込む。

国道に出るとまた車の往来が激しく、これでまた消耗(;;)

 

新幹線も車も現代社会では不可欠になってきているのは確か。

現にこうして街道歩きができるのも新幹線のお陰。

車も電車の本数の少なくなった今では街道筋の人々にとっては生活の足である。

しかし、実際に一緒に歩いているとその鬱陶しさに今さらながら驚く。

歩いていると自転車さえ危険に思えてくる。

街の中で人は歩かなくなってしまった。

う~ん、わたしが今こうして歩いていることの意味は????

道の駅「竜王鏡の里」で冷たい飲み物で喉を潤す。

熱中症の一歩手前なのか、胸がムカムカしてきておやつを食べる気にもならないし

このまま眠りたい感じ。

梅雨が明けた、との情報がメールで入る。それでこの暑さなのね+++

ん?平家終焉??

なんだか歴史があちこちに飛んで集まっている。

相変わらず国道と旧道を出たり入ったりし、桜生(さくらばさま!)公園を左に見て新幹線のガードをくぐる。

 

は静かになるが、新しい住宅地が立ち並び、現代の住宅はやけに白っぽく光を跳ね返すようで道がまぶしく

歩きにくい。

木造のベンガラ格子に長い軒先の昔の家だと、その近くに寄るだけでひんやり涼しいのに・。

住宅地のほぼ真ん中あたりに昔の立て場跡(休憩所)を発見!

休憩。

14時45分。

今回休憩はなるべく短い間隔で取るようにする。

ふだん、わたしたちは一時間休憩無しでも歩いてしまうが、やはり時と場合による。

座っていると風が吹き抜けて気持ちいい~~。

ちょっと横になったりして再び出発。

守山の手前の野洲駅に寄って米原からの新幹線の切符を買っておくこととする。

野洲は大きな町でコンピューター関係の工場も誘致しているようだ。

通りにこんなバス亭。思わずにっこり(^^)

で、野洲駅で米原発「ひかり」の指定席があるか聞いたら、20時近くまで満席とのこと@!

そりゃそうだ、こんなに晴れた連休最後の日だもの。

19時56分発「ひかり」の指定を買う。(【大人の休日カード】が使えるので3割引き☆)

しかし、困ったことに今から守山まで一時間歩き、そこから米原までJR草津線で約30分かかるとしても

この時でまだ16時になっていない。時間が余ってしまう~。

「それじゃあ、草津まで歩いてしまおう!」と意見が一致するのは当然の成り行き!!

どこにそんなエネルギーがあるのかわからないが、時間はたっぷりあるわけでゆっくりゆっくり歩こうということになる。

野洲川を越える。水に飛び込みたくなる~、

橋を渡ってしばらく(かなり)歩くと守山。

水路が美しく、街の中でホタルが見られるらしい。

元総理大臣であった宇野さんの生家。今は市が買い受けたものを個人の営利団体が管理している。

ここの受付のお兄さんに「愛知川から歩いてきました」と話したら

「それはそれは大変だったでしょう!武佐から歩くのがふつうですからねえ」と驚かれた。

「それでここで今日はおしまいですか?」と聞くので「いえ、草津まで行きます」といったら再びびっくりした様子。

 

 

 

とにかく休憩をたくさん取って進む。足は疲れないが暑さが辛い。

東海道の時も2度ほど暑さにやられたので、今回は曇りの日を狙ってきたのに・・・。

ま、仕方ない、草津までほぼ4㎞1時間の距離。はってでも行くぞ!

寺社の境内が涼しくて非常にありがたい。

「へそ」・・疲れてヘロヘロなのに「へ~そう~?」なんてダジャレが出てくるわが身が哀しい++;

栗東の街を抜けて、JR下のトンネルをくぐって、道とは思えない細い水路沿いの通路を歩き

 

だんだんにビルが立ち並び、人がわらわらと出てきて賑やかになってくる。

草津の駅だ!

中仙道と東海道の分岐(東京からは合流地点)のある草津である。

まっすぐ行けばアーケードがあってそこを抜ければ、何年か前にやってきた合流地点。

ちょっと感動。次回は大津の宿場を抜けて京都まで一日で行ける距離のところに来たのだ。

ちょうど18時。

駅前の喫茶店でひと休み。夫ろくさんはピザを食べたが、わたしは全く食欲がわかない。温かい紅茶をいただくのみ。

ここから米原までJRに乗り、米原から新幹線にちょうど良いタイミングで乗ることができた。

帰宅は23時少し前。

さあ、次回はいよいよ三条大橋へゴールの予定。大詰めです。

しかし暑かった;;。碓氷峠の蛭、土砂降りの和田峠、意外に苦戦の塩尻峠、に加えて気温32度炎天下苦行の旅路であった。

本日の歩行距離:約32キロメートル(五個荘に寄った距離を含む)
京都まであと;約26キロメートル!

 

 


中仙道を歩く㉖ 高宮~愛知川

2016-07-20 09:10:17 | 中仙道(中山道)

この連休に歩くのはあきらめていたのだけど、17~18日の天気予報では琵琶湖東側は小雨か曇天。これはチャンス!と思い立ち遅い出発で出かける。
この出遅れが仇となり、また18日によもや梅雨が明けてピーカンの晴天になるとはつゆ知らず・・。

7月17日(日) 曇り

東京駅発10:33発の「ひかり」で米原まで。

「のぞみ」は米原には停まらないし、停まる「ひかり」は1時間に2本だけなのでこの時点ですでに予定が押している。

米原で近江鉄道に乗り換え、高宮まで。近江鉄道も本数が少ないのでここでも30分ほどの待ち。

でもホームでぼんやり待っていると風が心地よい。

高宮に着き、歩きだしたのが14時少し前。

だいたい街道歩きの最後は体力精神力とも疲弊するので、街の景色をよく見ている余裕もないが、

出発時はいろいろなものが良く見える。

高宮駅を降りてすぐに流れる川(生活用水?)の美しいこと。

朽ち果てそうな古びた街並みはなかなか風情がある。

この歴史的な家々や店は新しく建て替わって何年か後、再び訪れたときは街の様子は一変しているのかもしれない。

今回の街道筋はそう感じさせるところが特に多かった。

提灯やさん。

まもなく

まもなく多賀大社の参道入り口。

近江路に入るとたくさんの寺社がひっきりなしに続く。

 

道すがらの和菓子屋さんで栗まんじゅを買い、「むちんばし」(昔、お金を払わず只で通れたその名の通りの無賃橋)を渡りつつ食べる。

空は曇ってはいるが、湿気がすごい。じっとりと汗。でもまあこのくらいなら御の字御の字(^^)

田圃がきれいに続く。松並木も途切れ途切れではあるが残っている。

そうそう!今回はまだ宿も取っていなかった、ということでガイドブックにある愛荘町の農林商工課に電話し

近くに宿があるかどうか聞いてみる。

次の愛知川に一軒だけ街道歩きでよく使われるビジネスホテルがあるとのこと。そこの電話番号を聞いて

かけてみると宿泊OKとのこと(^^)V

もしなかったら大きな町の近江八幡まで行って泊まるしかないかと思っていたから、ラッキーであった☆

 

豊郷町に入ってさらに湿度が上がってきた感じ。

 

伊藤忠の創始者、伊藤忠兵衛の屋敷跡。そういえば近江商人だった。

やがて歌詰橋。平将門っていったい首がいくつあったんじゃろ@^^;?かなり宇曾っぽい。

さてこのような鳥居が見えて来て愛知川の宿。

「愛知川」は「えちがわ」と読む。「愛」と云う字が入るとなぜか女性らしく小さく雅な感じを想像する。

昔は寺子屋。今、進学塾?。

昔は「恵智」と表記したのか、このあたり勉学の志厚い土地柄だったのかしら。

 旧滋賀銀行。

この建物を写真に撮っていると、「寺子屋」さんのあたりからひとりのおじ(い)さんが手を振りながらこちらへやってきて

昔の街並みの様子を懐かしそうに話してくださる。

「この建物はもとは滋賀銀行で、それがあった頃、この宿場通りは通行人でいっぱい。かき分けるようにしないと向かいの店にも行かれんかった・・」と柔らかい近江弁でホントに懐かしそうに。

「この塀の向こうはバス亭で火事があった時に銀行に火が燃え移らないようにこんな頑丈な壁を作ったんです」と。

 

今は閑散とした通りだけど、おじさんの話や、休憩所のおばさんたちの丁寧な呼びかけや、道で遊んでいた小さな兄弟が「こんにちは!」と元気にあいさつしてくれるのも嬉しい。

愛知川宿を出ると国道8号に沿ってすぐに本日の宿、「近江屋」さんを発見。

17時15分に到着。

一見、ふつうの居酒屋さんなのだが、一泊2食付、ひとり6300円!お風呂は屋上露天風呂風!


琵琶湖産のアユが美味しかった☆


ちなみに、もし昨日来たら、愛知川の花火大会で大混雑で宿泊は無理だったかも、ということでした。

本日の歩行距離:約9.8㎞。(出発が遅かったので短かった。)

京都まであと、約60㎞!

 


中仙道を歩く㉕ 柏原~醒井~番場~鳥居本~高宮

2016-05-30 19:14:32 | 中仙道(中山道)

5月29日(日) 晴れ

天気予報では曇りのち雨だったが、熱中症を心配するほどのいいお天気となった。

本日は鳥居本か、調子が良ければ高宮まで歩きたいものだ。

昨日案内してくれたいっちゃんはお仕事なので今日はろくさんとふたりである。

ホテルで無料サービスの朝食をすませ、大垣発7時35分の東海道線で昨日歩いた柏原まで乗る。

長良川の鵜飼いを見るために岐阜に近い大垣に宿を取ったが、柏原から高宮への街道筋は殆ど宿泊するところがないのでこれは大正解であった。

 

8時少し前に柏原に到着、歩き始める。

現在も営業するモグサの伊吹堂亀屋の前を通りかかると、土地のおじさんが自転車を押してやってくる。

挨拶をすると柔らかい近江弁で街の今昔について詳しく話してくださる。

東海道歩きのときも感じたけれど、この琵琶湖周辺滋賀県、近江の人々の物腰は本当に穏やかでやんわりと吸い込まれそうになる。

さすがに近江商人発祥の地なのである。

伊吹屋の店内には元祖巨大福助人形が置いてあるらしいが、まだ営業時間前なので外を通っただけ。

 

長い宿場を出るとあたりは、なだらかな山々に囲まれた気持ちの良い田園風景が広がる。

一里塚跡。

だんだん陽射しが強くなってきた。

まもなくするとこのような標識があるので右を行く。左はアスファルトの国道21、右は木立の中の土の道である。

ところがすぐにこんな金網バリケードが・・@

もしかしたら通れないのだろうか、と少し戻りちょうど花を摘みに来ていた民家のおばさんに

「通れますか?」と聞いたら「ネジをちょっと回せば開けられますよ~、」とニコニコ顔で教えてくれたのでその通りにしたら無事開いた。

この道が続いたのはわずか700メートルくらいだろうか。

ところどころ、水たまりや水の流れがあって鬱蒼としているので、もしや、山ヒルでも出るかしら?と緊張し、飛ぶように歩く。

でもひんやりして気持ちいい。

昔はみんなこういう道だったろうし、車も信号もないからわらじを履き替えていれば、現在よりかなり楽に歩けたのかもしれない。

旧道が国道と合流するあたりに、カラフルなアブちゃんをかけた石地蔵のお堂。

そして梓河内の集落。

上高地を流れる梓川もそうだけれど、この「あずさ」という字と響きは神がその土地にくださった何か独特な清々しさを感じさせる。

美しい川の流れに沿う集落の道には、草刈り作業なのか一斉に人が繰り出している。

いつもは殆ど人と会わない街道歩きなのだが、この日はどこを歩いても草刈り作業をしている人が多く、新鮮な感じ。

やがて名神高速の下にいったん出て少し上り一里塚を過ぎ

坂を下りると、醒井(さめがい)の宿。

宿場の入り口にすぐ湧水点。

ここは素晴らしい景観であった。

地蔵川の水の美しさ、その水の中に揺らめくバイカモの花、花のあふれるゆったりとした街並み、

町並み保存に力を入れているのはもちろんとしても、山の奥深くでもなく、生活の中にこのような清水がコンコンと湧き、流れているのだ。

両岸にはユキノシタが咲き乱れていた。

↓ バイカモ

 

流れの前の小さな茶屋さんで水まんじゅうを発見!

これは大垣と垂井で食べるチャンスを逸していたのでさらに嬉しかった。

冷たい流水の中で冷やされた水まんじゅう。

 

 

心も体もリフレッシュして次の番場宿を目指す。これが10時半頃。

陽射しはいよいよ強く、日除け対策が大変!タオルとネッカチーフで必死に顔を隠す。

日陰がないのは辛いなあ。

 

 

番場宿に入る。

「瞼の母」のおなじみの、ご存じ番場忠太郎所縁の地。

ここからは摺針峠に向かうので道が少しづつ上りになってくる。

やがて田畑の続く一本道。

日陰は無し!(+;)

ずっとずっと前が見えている。

前が見えるということはまだあんなに続くのだ~という脱力感と、曲がり道を曲がった時に出くわす風景の新鮮味もないわけでちょっとうんざり。

実は今回の道程で一番疲れたのはこの一本道のぼりであった。

そんなに急勾配ではないのにだらだらだらだらとのぼる日向の道。

真綿で首を絞められるような感じとはこの事か(ちょっとちがうかな~^)

やれやれと登りきったら、名神道路の登坂車線地点と合流。

ここから分かれ道に入って小さな集落を通ると

神明宮の階段があり、ここが摺針峠の最高地点。

さあ、あとは鳥居本まで一気に下るだけだ!!

非常に楽になって木立の道を降りてゆく。

けっこう下りは長くもしかすると京都側から街道歩きをするとここはつらいかも。

もうお昼なので空腹をおぼえてくる。

鳥居本まで下りればなにか食べる所があるだろうとタカをくくっていたのが大間違い。

国道に出てもお店と名のつくものはひとつもない。

水分とお菓子や飴でしのぐ。

やがてこのような、造ったばかりの石碑があり、鳥居本が近いことがわかる。

 

着いた!鳥居本の宿。

合羽問屋、赤玉神教丸、などの大きな商家の並ぶ鳥居本は宿場情緒満点。

 

近江鉄道の鳥居本の駅舎は歴史的建造物で風情がある。

 

ここらでかなりエネルギー消耗。ろくさんもわたしも足の裏に豆ができたらしい。

ここで米原に行って帰ろうかと提案するが、もう少しがんばろう!ということになり次宿の高宮まで約5㎞さらに歩く。

街道筋の道なのだが、車が多く歩きにくい。

小野小町ゆかりの小野塚の碑を過ぎ

てくてくてくてくと日向の道を歩く。このあたりもう無言の苦行修行者。

芹川を渡り、石清水神社の公園でベンチにへたりこむ。

歩かずに静かに座っていれば、気温はそんなに高くないこともわかり、吹いてくる風が心地良い。

さあ、商店街が多くなってきた。

目指す高宮の街並みに入ってきた。しかし相変わらず食事処はない。

もう空腹も限界を超えたので、あまり感じなくなり、こうなったら米原まで行ってお昼にしようということになる。

高宮の駅。

駅舎は新しくてとてもきれいだが、ホームは古く木の柱、多賀大社に向かうホームが是から乗る近江鉄道のホームと面白い位置関係にある。

14時34分発の米原行きに乗りこむ。

なんとこの電車、最近増えてきた自転車乗りこみフリーのサイクルトレインであった。

 米原に着いて駅近くのレストランでカレーを食べる。すでに15時半!

ビールが恐ろしく美味しかった!!!

 16時56分発の「ひかり」で東京へ。

本日の歩行距離:約20km(・・にしては疲れた。たぶん陽射しのせいだと思われる)

京都まであと約56km。