回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

能「朝長」の静けさに酔う

2017-10-16 11:23:52 | 和文化・着物・能・茶・骨董
昨日は初台の能舞台で「朝長」を鑑賞してきました。

いわゆるポピュラーな演目とは違って仕舞も戦いの場も少なく、しずしずと語りの中で進行していく番組。

けっこう玄人好みと思われます。


友人と行きましたが途中で睡魔が・・。

しかししかし、朗々とひびいている地謡いの声と、身も凍るような能管の高い音、鼓太鼓の微妙な合いの手、

それらのすべてが止んで、しん、と音の止んだ時空間の叫び、

この「しじま」に能の醍醐味があると言ってもいいくらい。

能がわたしの心を捉えて離さないのは、まさにここにある。

音が鳴っている間に睡魔は訪れ、静まる瞬間にはっと目が冴える。

ゴトンゴトンと電車に揺られているうちは寝られて駅に止まると起きる、という感覚や

西洋音楽のコンサートで、美しい旋律に眠気がやってきても、鳴りやんだ瞬間に目覚めるのと同じかしら?

もちろん、はじめからず―――っと静かでは効果は無くて、音があるからこそ無い時間が浮き立つ。
(なんだか禅問答のようだけど^^)

光と影=音と静寂、

音がしっかりしてこそ、輝く光が強いからこそ、反対の部分が成立するのでしょうなあ。

ここの能楽堂は半野外。


朝長の悲哀の物語にふさわしく秋雨の音も時折、舞台の「しじま」を縫ってしめやかに聴こえてくる。


晴れたら着物を着て行こうかしら、と母の遺した明るい藍色の飛び小紋を準備したけれど、午前中はプログラム作りでてんやわんやだし、
雨だし、長丁場の番組なので洋服でした(^^)


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