老いて楽しく

余生を楽しむ

優勝記念

2016-08-07 16:08:27 | 日記
思いもよらず良い写真が見つかった

  昨日リオデジャネイロでオリンピックの開会式が有った、今日は甲子園で夏の高校野球の開会式が有った、オリンピックは全世界から選手が集まり、開催国も国家の威信を掛けるのだから、規模も予算も莫大なものだろう、今日の高校野球の開幕はオリンピック開幕の華麗さはないが、日本全国49代表の若者たちが集まり、開会式を行った。

  オリンピックの入場行進も中国や韓国の行進など見たくもないので、日本選手団の入場行進から聖火の点火まで見た、賑やかに派手な演出で楽しさはあったが、今日の高校野球の方がずっと感動した。
 東日本大震災続く大津波、河川氾濫の被害、熊本地震の苦難を乗り越え、自分たちの野球を通して復興の糧にして欲しいとの宣誓、あの若人の力一杯の行進、オリンピックよりずっと感動した。

 そう云えば今から68年ほど前、終戦直後山梨へ疎開している時代、食料も物資も不足している時に、山梨県中等野球大会が有り、ユニホームは配給の布でお袋に縫って貰い、胸の校名は黒いラシャを自分で切り抜いて縫い付けて貰った、グローブもボールも乏しく、運動靴もなく怪我のないように試合中は裸足がルールだった、キャッチャーの面などなく、ファールチップが2回目に当たり、キャッチャーが血を流して戦った記憶が有る、今野球試合中に目から血を流したなんて言ったら、教育委員会が大変な騒ぎになるだろう。

 当時郡の予選を勝ち抜き、県大会で優勝した、当時山梨県に新制中学校が何校あったか知らないが、あの終戦直後の混乱の中、予選を勝ちぬき、乏しい中でもチームメイトが助あっていた。
 兎に角敗戦直後の混乱期物資もない中、郡の予選を勝ち抜き、県下1の栄冠を手にした、予選から県の決勝大会まで運営した組織の人達も大変苦労をされたことだろう。
 そんな中で県下一の栄冠を勝ち取ったのは、良い思い出だが、まったく忘れていた、{終活」で写真の整理をしていたところ偶然、優勝記念写真が出てきた、

  少年時代の大きな記念すべき写真だ。
 

優勝旗と賞状 真ん中は校長先生 後列真ん中の背の高い先生がが野球担当
 
外野手と補欠3人 小生は正選手だった