先月末頃板橋に住む倅から電話が有った「一番上のが今年前厄だから、厄払いに行くけど、一緒に来ないか」と誘い、大学を卒業してもう厄年になるのか、離れて暮らす孫の成長の速さに驚きやら、嬉しさがないまぜの感情だった、祈願所は川越喜多院だという。
そうか思い返してみると、倅の42歳の厄年に同じ喜多院へ厄除祈願に同行した、あれからもう8年か9年経つのか、今度は孫の厄除祈願に矍鑠として付き合えるなんて嬉しい限りだ、孫の予定も有り土曜日を想定して始め4日を予定したが雨の為一週間延期11日に実行した。
1日から9日までは曇天亦は雨で9日間で日照時間はわずか8分、それが11日は梅雨の晴れ間で、埼玉各地真夏日を記録する暑さ、川越駅から喜多院まで汗をふきふき歩く、孫の後姿を見ると、もう大人の骨格、逞しい体格になり、倅が178センチ 孫が172・5㎝小生が年で少し縮んで172センチ、倅も孫もたくましく見えた、親子3代健康で厄落としに行けるなんて幸せだ。 喜多院の森陰に入ると渡る風もぐっと涼しい、11時30分の祈祷開始まで少々時間があったが、五百羅漢を見物する時間もなく、孫に川越の南院 中院 北院の故事来歴を話す、北院が喜多院に名前が変がわった経緯等も聞かせてあげる、多分頭の片隅には残る事だろう。
ご祈祷札も申し込み書に書いたのより一段階上げて大きな物に変えさせる、祈祷が終わり近くの「東屋」鰻店へ行くが予約で満席、暑いので遠く迄行くのも大変、喜多院境内にあるそば処「寿庵」へ行く、孫はうな重 倅と小生は松花堂弁当、酒のおつまみに鴨の燻製他を頼み、厄除祝いの乾杯をする、暑さの為冷えたビールの旨さ、乾杯を重ねること数度、孫は若いから食事は全部食べたが、小生余り食べられず、中ジョッキん何杯飲んだかは書かぬが3人とも同じだけ飲む、結構ほろ酔いで新富町まるひろ近くの喫茶店で話をして、倅と孫が本川越まで送って呉れ、自分達は川越駅へ帰って行った、足が乱れる訳でもなくしっかりとした足取りで歩いていた。
祈祷料 食事代, 嫁さんが暑さにもめげず良く働くので、川越名物を嫁さんにお土産等、その他で数万円の出費だが、孫が今後健康で社会を乗り切って呉れるなら、エール代だ、易いものだ、頑張れ孫よ。
|