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戦争を語るー6

2018-11-13 08:22:39 | 日記
スパルタ教育
 
 大東亜戦争が始まると小学校教育も大きく変わった、スパルタ教育である、担任の教師の性格にも大きく関係するが、厳しい指導をする教師もいた。

 教育勅語 青少年学徒に賜りたる勅語 宣戦の詔勅 5ヶ条の御誓文 軍人に賜りたる詔勅 歴代天皇125代の天皇名の暗記、この全てを暗記させられた、教室で突然指名され暗記の教育勅語とか、青少年に賜りたる勅語を全部を言わされる、最後まで言えなければ教壇から白墨をぶつけられ、根曲がり竹の根っこのしなる鞭で頭を叩かれる、その痛い事。

 宿題を忘れると水を張ったバケツを膝に置いて廊下に座られられる、酷い時は水を張ったバケツを頭に載せて廊下に立たされる、姿勢を崩すと濡れてしまう過酷な罰だ、それは拷問に近い罰だ、そんな体罰を受けても親が抗議するなんて事は絶対ない。
 往復びんたも有り、教師が自分の手が痛いので、スリッパでびんたを食らわされ頬から血が出る事も、我々学童も自分が悪かったとそれを受け入れていた、今こんな体罰が有ったら、モンスターペアレントが大騒ぎするだろう、教育委員会委員が平身低頭謝るだろう、だが戦時中は強い子供を育てるのが当然と思っていた、そんなスパルタ教育を受けてきたので、現在も少々の事では動揺しない、厳として物事に対処する、その分融通性に欠けるが。

 そんな折 クラスに「航空少年団」「海洋少年団」などが先生の指名で結成された、小生海洋少年団に組み込まれた、海洋少年団の名入りの水兵帽 捕縄と6尺棒を渡され何かとても嬉しかった、各所で大きな催しがあると動員され、捕縄と六尺棒を使って交通整理などをして、何か役に立っていると誇らしかった、日比谷公園などへもよく整理に行った。
 
 手旗信号 モールス信号も覚えた、手旗信号は実際には余り役に立たなかったようだ、モールス信号は難しかった、手旗信号の基本形は今でも覚えている、モールス信号はほとんど忘れた。

 戦時中の小生、陸軍士官学校より、江田島海軍士官学校を受けたかった、制服は紺の立て襟ボタンなし渕はモールで飾られ、腰には短剣とても格好良かった、低脳な小生だが格好に憧れ猛勉強したが、その前に終戦になってしまった、小学生でも軍人になるよう洗脳されていた。

 棒倒し 騎馬戦は運動会の花形、棒倒しは2回戦遣る、1勝1敗なら3回戦までやる、攻める組 守る組と別れる、小生守る組になっても攻めてしまい、相手の肩に飛び乗り棒にしがみつき引きずり降ろそうとする相手を蹴飛ばし、棒の上に登り揺さぶる、騎馬戦でも負けたことなし、そんな闘争心を戦中は教育された。 
 
陸軍士官学校の服装より海軍兵学校の服装に憧れた
ある資料より拝借