老いて楽しく

余生を楽しむ

護国寺

2012-09-17 15:24:45 | 日記

 

私の見た護国寺

 

 先日ウォ―キングの会で護国寺を訪ねた、小生の記憶では昭和26~28年代に護国寺周辺を自転車で時々走った経験がある。
その頃護国寺の門前から一直線に伸びる音羽通り(当時は此の道には都電が走っていた)
から江戸川橋方面を眺めると、左側は緑の傾斜地、丘の上には住宅が有り、奥の方江戸川橋交差点に近い所、傾斜地の上左手に鳩山さんの屋敷があり(当時は音羽御殿と称していた)そして護国寺門前から少し行って右手に「講談社」の建物が有った。
 今の様に高いビルは全くなく、緑が有り見通しも良く落ち着いた風景だった、それが今はコンクリートの箱が無機質に並んでいるだけ、景観も風情も何も感じられない、コンクリートの塊が並ぶ、何とも詰らぬ通りになってしまった。
 当時都電は新橋駅を起点に銀座→万世橋→上野池の端→神明町車庫→本郷3丁目→千石→護国寺→矢来下(後に江戸川橋に改称された)と言う長い路線が走っていた


 通称護国寺で通っているが、正式名称は「神齢山悉地院大聖護国寺と称する。

 

 

 参道に入ると先ずくぐるのが「仁王門」 この日は○○玩具(株)の葬儀が有り、相当有名な会社らしく、この門の左側を黒塗り乗用車がひっきりなしに入って行った、護国寺で葬儀を遣り、墓地も有れば相当な地位の人だろうと推測する。



 仁王門をくぐると階段中腹に不老門がある、門をくぐった後も石段が続き年配者には少し息が切れる階段、少し変わった形の門だが、形式は京都鞍馬山の山門を模したと言われる。長寿を願って不老門と名付けられた。
 訪れたのは9月の初旬、両脇のつつじが青々していたが、花の時期には参拝者の目を楽しませてくれるのではないだろうか
.。
 

 

 不老門をくぐり更に階段を上ると本堂だが、その手前両脇に形の変わった水盤が
ある、此の水盤も戦時中貴重な銅として供出させられたのであう、近年篤志家の寄
進で一対が完成し江戸時代からの貴重な水盤が復元した。

 

本堂手前に多宝塔が有り、昭和13年建立で年代は新しいが、当時一流の建築家、装飾 彫刻の人達が技術の粋を集めて建立の為、非常に優雅な多宝塔である、小生も数多くの多宝塔を見たが一番印象に残る多宝塔である。 
   

 

本堂を降りて直ぐ両脇に手入れの行き届いた形の良い赤松がる

 

本堂前から不老門越しに音羽通りを眺めると、ビルの林立しか見えない、今から
60年ほど前の眺めとは全く景観が変わったしまった。