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戦争遺跡

2011-10-12 10:02:00 | 日記

  もう既に沢山の人が投稿している話題で、写真等で何回も目にしているが、どうしても自分の目で確かめたかったので、現地へ赴いた。

  其れは東大和市にある「旧日立航空機 立川変電所跡」である、矢張り写真で見るよりは、其の攻撃の凄まじさは驚きを以て見た、如何に物量に物を云わせたアメリカでも、ここまで執拗に弾丸を撃ち込むか、爆弾による破片の傷もあると云うが、あれは艦載機の数次に亘る機銃掃射の傷跡である、だが貫通した弾痕は少ない、殆ど壁に傷跡を残しただけで、建物は堅牢のようだ、だがガラス窓を通して撃ち込まれた弾丸は、変電所内の器具を壊滅的に破壊したであろう。

 素人判断の考え方で信用して貰っては困るが、おそらくその工場の大元である電源を破壊すれば、工場機能は停滞する、この工場の空爆歴史を見ても艦載機による波状攻撃で機銃掃射をし、のちにB29 101編隊空襲があったと聞く、如何にアメリカの物量に物を言わせた攻撃にしても、あそこまで蜂の巣状に弾丸を撃ち込むか。

 建物 西壁 東壁 北面は窓が少なく、厚い壁に擁護されている、弾痕も北面には一つもなく、東西面に数発の跡がある、専ら南から集中攻撃を加えたのであろう。
 
この建物を見て戦時中の東京絨毯爆撃を彷彿させた。

 戦後66年この建物も幾多の変遷を経て来たのであろう、取り壊しもなく、東大和市が史跡として保存している、大変良かったことと思う。
太平洋戦争の体験を語り継ぐ人も極減している、人は何事も次世代に語り継ぐと云うが、口から口へ口伝されると事実が大きく歪曲され兼ねない、本当の事実を語れるのは、其れを目撃した人と、残された遺跡だけが真実を物語る。

 

60数年を経てよく保存されている、

南面を集中的に攻撃され、東面は殆ど弾痕が見当たらず。

鉄筋入り壁面は頑丈だったせいか、貫通した穴は少ない。

深い弾痕が良く保存されている。

熾烈な攻撃を受けた変電所も、60年余を経ていまは、花々に囲まれて静かに歴史を残している。