折り鶴と連鶴
折鶴が文書として現れるのは江戸時代です。江戸時代初期の1682年に出版された『好色一代男』の中で、「比翼の鳥のかたち」をした「おりすえ」をつくるという記述があります。ただし『好色一代男』では図や絵がないため、「比翼の鳥」の折り紙がどのようなものなのかは定かではありません。はっきりと折鶴が描かれるのは1700年に出版された『當流七寶 常盤ひいなかた』です。その「ひいなかた」の中の「落葉に折鶴」の中に、着物の模様として折鶴が描かれています。
その後、折鶴を発展させた連鶴が誕生したと考えられる訳ですが、明確な形で連鶴が記載されたのはているのは1797年京都で出版された『秘伝千羽鶴折形』です。しかし1800年前後の複数の浮世絵に、連鶴と思しき連なった鶴が描かれており、『秘伝千羽鶴折形』以前から連鶴が存在していたと考えられます。具体的には、少なくとも18世紀の江戸時代中期には、連鶴が折られていたと考えていいようです。
この『秘伝千羽鶴折形』は、49種類の連鶴の折り方が絵入りで書かれています。この書物は、現存する世界で最も古い遊技折り紙の書物であり、伊勢国桑名の長円寺11世住職、義道一円によって作られています。これが江戸時代に、しかも、 地方の一僧侶によって考案されたということは驚異的であり、この折りかたは現在でも「桑名の千羽鶴」として知られ、桑名市の無形文化財に指定されています。
日本の和紙
折紙は、紙漉きの技術が中国から伝えられた推古天皇の頃から 「御幣」や「紙垂」のように祭祠儀式用として登場し、 平安時代以降の折紙は、熨斗や紙包など儀式・贈答・儀礼に 用いられるようになりました。
折紙が遊びとして登場するようになったのは、 江戸時代に入ってからで、世の中の安定、紙の普及、庶民層の 台頭など,所謂平和な世の中になって、芸術的な折紙が誕生しました。なかでも鶴は、昔からめでたいものの 象徴となっており、その形の優美さと併せて折紙の代表になりました。
日本の折り紙は、他から伝わったものではなく独自に発達したものであり、千代紙の様な折り紙専用の紙は、他にはありません。19世紀にはヨーロッパにも独立した折り紙の伝統があり、現代の折り紙は、日本やヨーロッパを起源とし、日本の開国と共に両者が融合したと考えられます。現在、日本語の「折り紙」という言葉は世界に浸透しており、欧米はじめ多くの国で「origami」という言葉が通用します。
この稿を書くにあたって、インターネットで調べていて一枚の紙で100羽近い連鶴が作れることを知りました。その幾何学的製図をみて・・・世の中には、頭の良い人がいるもんだ!・・・と感服しています。数学が全く弱い私には「ビックリ ポン」で、この稿を書くだけで精一杯です。
88羽連鶴の製図画面