私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

東北・関東大震災 (Ⅱ)

2011年03月14日 | 太平洋地震

  2011・03・11日15時46分、東北地方太平洋沿岸を震源地とするマグネチュード8,8(後に9.0に)の地震が襲いました。この日私は、朝9時ごろから畑に出ました。 主な仕事は今月末にはつくる「さつまいもの苗場」の準備で(約500本の苗をとる予定)2時間ぐらいかかりました。 

 お昼になり、キャベツなど4~5枚の写真を撮って帰り、午後2時ごろからその写真を使って投稿のためパソコンに向かっていました。いつもテレビは点しておくことが多い方で、テレビのスタジオが「揺れていますー地震のようです!」が耳に入ってきました。ほんのしばらくして「目まいみたいなを感じて地震だと気づき・・」反射的にストーブを消し、外に出る窓の錠を解放にしました。 しかし 時間にするとほんの数秒程度でパソコンに向かいましたが、以後目はテレビに釘づけになってしまいました。

 初回は、14・46分マグネチュード9.0が、15・00分、15・15分、15・26分(マグネチュード7・5クラス)の地震が、東北から関東沿岸500㌔奥行200㌔で未曾有の巨大地震が起きていたようです。
 この詳細は、まだ知る由もなかったですが、初期のテレビの放送が「連呼・・絶叫に近い感じで・・・津波に対して警戒してください!! 逃げてください!!」が耳に残っています。
 この初期の段階で頭に浮かんだ事は、阪神・淡路大震災よりももかなり被害甚大になるという思い・・・津波のことが頭に付いて・・・インドやインドネシァ被害の津波映像がかすめました?
 一応、写真だけを挿入した「3月の畑・第二報」を閉じようと考えて、短い文と投稿時間「15、13、11秒」を打ち込んで投稿しました。
 
 以後、その日は夜10時まで、翌日は午前中テレビにつきっきりでしたが、ぼつぼつ畑に出るようになりました。ここでは、地震・津波の情報はテレビなど報道に任せて、私の感じたことや思いに触れたいと思います。

            
 3月12日11時48分テレビ放映の映像です。
11日の津波被害が大きく報じられる段階から、福島原発の事故は注視していました。日本の力と知恵を集めて被害を最小限にとどめてください。私には祈るしかないですが・・・。

            
 3月11日15時31分のテレビ放映の映像です。音声は津波に対する警報を連呼していました。

            
 3月11日15時30分のテレビ映像です。上2枚の写真は民放の映像だったと思います。大津波警報10㍍以上の映像で、この時点で被害が並々ならぬと予想しました。
 
11日、12日と日が経つにつれてテレビの詳細映像に、驚愕と悲惨で涙ぐんで声も出ません・・・それが実感です。

            
 3月12日11時44分映像です。悲惨な映像が多い中「良かった!!」の思いで、身に熱いものが込み上げてきた写真です。
お母さんや小さな子の姿に涙があふれてきました。

 日本は未曾有の難局に遭遇しているようで、国は全力を挙げて難局に立ち向かってください。そのための不自由は忍びますから・・・。

 この災難は、日本をためしているように思えます。国民一人一人をためしているように思えます。社会の組織がためされているような気がします。
 乗り切って大きく育ちましよう!!。