日本庭園こぼれ話

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東福寺本坊庭園=重森三玲の造形革命(1)・・・京都市(改編)

2021-08-03 | 日本庭園

庭園に石を据えることを、「石を立てる」と言いますが、その言葉に反し、実際には石を伏せ、安定感を狙った石組が多い中、重森三玲(しげもり・みれい)は、文字通り、石を「立て」て造庭した作庭家です。

重森三玲(1896~1975)は、造園界では、昭和を代表する作庭家として知られていますが、その履歴をひもとけば、庭の調査研究においても多大な成果を残し、生け花界でも改革を唱え、茶道にも自分流の創意工夫をするなど、様々な芸術分野で、特異な才能を発揮しています。

今で言えば、マルチタレントですが、そのユニークさ故に、その評価は「賛辞」と「拒絶」が相半ばするといったものでした。しかし、時代が彼に追いついたのでしょうか、近年、重森三玲の評価は急上昇。

強烈な個性を庭に表現して、生涯に数々の名作を残した重森三玲ですが、中でも昭和14年(1939)作庭の東福寺本坊庭園は、初期の名作で、彼の名を世に知らしめた庭園として有名です。

(上: 東福寺方丈南庭)

方丈を囲むそれぞれの庭園に表現された「八相」をもって、釈迦の教えにちなみ「八相の庭」と命名されています。

最初に現れるのが、方丈前庭にあたる南庭。東西に長い敷地で、まず目に飛び込んでくるのが、林立する巨石群です。荒海を象徴した砂紋の中に、「蓬莱山」をはじめとする「四仙島」を表現した石組ということです。

(上: 重森三玲がこだわった力強い立石群の構成が存在感を示す)

さらに、南庭の西部分では、苔で覆われた築山で「五山」が表現され、続いて現れるのが西庭。一連の構図が、縁先を進む視点の変化で、新たな景色として展開していきます。

西庭は、サツキの刈込みと砂地で表現された「井田市松」と呼ばれる構成。

(上: 西庭の「井田市松」)

この市松模様は、裏手の北庭にも連続し、さらに洗練された手法で登場します。

 

 

 

 

 

 

 

(上: 北庭の「小市松」は、モンドリアンの作品を思わせる。=冬の朝の撮影で、苔の上に霜が残っていました=)

西庭の大きく立体的な市松模様に対し、こちらは苔と小さな敷石で描いた平面的な市松模様。敷石は旧御下賜門内にあった敷石を再利用したということ。

この図案化された構成は、しばしば現代絵画のモンドリアンの作品に譬えられるものですが、実際に目の当たりにして、その絶妙な配置と先見性のある美意識に感嘆しました。

またこの北庭は、紅葉で有名な通天橋とカエデ林を背景としているので、秋には緑の苔とのコントラストの効果が見事なことでしょう。

(上: 寺域を横断する谷に架けられた通天橋)

方丈の縁先を、時計と逆回りに一周して、最後の東庭は、白砂と緑の苔の地模様の中に、旧東司(とうす=禅寺の便所)の柱石の余材を再利用したという円柱状の石を配し、北斗七星を表現した庭。

 (上: 東庭は小空間に表現された宇宙の静寂)

このように、各庭園は、視覚的にも感覚的にも、それぞれに異なる手法で表現されていますが、連続する視線を保っているために、何か一つのストーリーで構成されているような印象を受けます。 

東福寺本坊庭園には、重森三玲が生涯追求し続けた「永遠のモダン」のエッセンスが、散りばめられているように感じました。 

 

* コロナ感染拡大の最中です。拝観につきましては、東福寺公式HPなどをご参照ください。

---つづく---

 

 


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