昔は「先生」と言えば威厳と信頼の象徴であった。ところが最近先生の不祥事が目立つ。それも常識ある普通の社会人なら絶対に起こさないものばかりだ。先生の数自体が増えたとも思えないが。いや真面目に教育に取り組んでいるという反論が必ずある。勿論分かっている。居ないとは言っていない。事件を起こす人について言っているのだ。公務員は簡単にはクビにできないから胡坐をかいている訳でもないだろうが質(適正)としてどうだろう。特に定年近い人の犯罪には驚く。懲戒免職になると退職金も出ないだろう。よくこの歳まで持ち堪えてきたものでやり直しできない年齢だ。家族の不幸が目に見える。
学校の先生で驚くのは年齢や経験に関係なく他の先生を「○○先生」と呼ぶことだ。丁寧に聞こえるかも知れないが「先生」には敬うという意味も込められる。実態はどうなのか、「さん」付けで良いのではと思うが。慇懃無礼な甘やかしと聞こえてしまうのはこちらの問題か。異動の季節になると警察官と同じように平教員でも地方紙には新聞1面に名前が載る。どちらも何か特別の意味があるとも思えないが同窓会名簿のようなものか。先生の前に一般の社会人である。特別なことなど何も無い。
昔は学校の先生と村の駐在さんは理屈抜きで尊敬の対象だった。小学校5年の時、夏休み前に6人でプールに行った。子供同士で泳ぎに行ってはならないという指導があったにも関わらずだ。少し離れたプールだったのでバレないとと思ったら誰かに告げ口された。教室の前に並ばされ何度も担任に平手打ちされた。担任は太った中年の女の人だったが掌は相撲取りのようにごつく張り手はよろめくほど強烈だった。ところが一人だけ叩かれない子が居た。後で聞くと親がPTAの役員だった。同じころIQのテストがあった。クラスで1番だった。その先生は、IQと勉強は直接関係ないからとあっさり言われた。励ましの言葉だったかも知れないが自分には平手打ちの後だったので嫌味に聞こえた。たしかに勉強は1番ではなかったが。今思えば田舎だったがそのクラスから東大に行った奴が二人もおり真実かも知れないが。先生に対する絶対的信頼が崩れたのもこの頃である。TV番組で「クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?」といのがある。小学5年は人生の中でも思い出の多い年である。学科の好き嫌いが表れたのも5年生である。5年生の子や孫を持つ方々、教える方も結構記憶に残る年です、気を付けて。無事定年まで勤め終えたサラリーマンには自治体から顕彰と金一封くらい無いものか。平凡に終えるのも結構難しい時代である。