新しい内閣の顔ぶれが決まった。あの人は何か拙い事をしたか、新しい人は何を期待されているのか、相変わらずさっぱり分からない改造である。結局選挙対策と派閥力学で決まるものかとその辺のオジサンと同じ感想に落ち着く。
物を買わなくなった。今それ要る?といつも思う。明日でもいいのではと持ち越しになる。本当に必要になったら近場の店で何でも揃う。店に在庫していると思えば良い。満ち足りているからではと思われるかも知れない。しかし普通の人に比べても物持ちは少ない方だと思う。お隣のアフガン家族の奥さんが長い棒の先に雑巾のようなものを巻いて2階の軒下を突いていた。死角で見えないが蜂の巣を落しているようである。蜂が大量に飛び回っていた場所だ。何年か前に我が家で同じような事があった。巣を見つけてすぐホームセンターで水鉄砲のような蜂の巣対策のグッズを買って来た。薬液が7mくらい飛ぶ。目掛けて噴射すると即座に蜂がボロボロ落ちて来る。物凄い殺虫効果だ。まだ薬液は残っていたので助けてあげたかったが言葉が通じない。何日か経ったがお隣の蜂の巣は完全には除去されておらず修復に蜂が集まってる。
殆ど外に出て来ることはなく言葉が通じない社会で生きて行くのはたいへんだと思う。全く孤立しているかというとそうでもない。時々ヒジャーブ(スカーフで頭髪は覆っているが顔は出している)を纏った奥さん連中が集まり大きな笑い声が聞こえる。小さなコミュニティーを作り生活の情報交換をしているのだろう。最近は子供を連れて一人で買い物に行く姿を見掛ける。ゴミの分別回収にも迷いが無いようだ。日本の生活にも徐々に慣れてきたのだろうが遠く離れた故国を忘れることはないだろう。タリバン政権の厳しさは分かっていても帰りたいと思う心が消えることはない筈だ。
難民や移民、外国人居留者を語るとき受け入れ体制とか共存共栄という美辞が聞かれるがその必要はないと思う。大概の場合日本社会に馴染めという強迫観念の裏表だからである。全く異なる環境で育った人達にも三つ子の魂はある。いきなり日本の慣習に馴染めと言っても無理な話である。最初はそっと見守り困った時だけ助け船を出せばよい。日本人と同じ生活スタイルを望む者が時間が経つと出て来るだろうがその時こそ溶け込み易い土壌が必要だ。
蜂の巣の修復が終わればまた竿を振り回すのだろうか。その時は残った殺虫薬液鉄砲の威力を紹介しようと思っている。言葉?パソコンに翻訳アプリがあるから「蜂退治手伝いましょうか」と紙に写して見せる。蜂はダリー語ならهشパシュトゥー語ならمچممか。困ったことがある。言葉で返事をされても分からない。筆談で返されても光学文字認識(OCR)機能はパソコンに無い。カメラかスキャナーで撮ってOCRアプリをダウンロードすれば良いではと言われてもそこまでは・・・。その前に冬になって蜂が冬眠するか死んでしまうのを待つ方が早いかも知れない。頭の中で要らぬお節介をいろいろシミュレーションしてしまった。さて最初にボロを出す閣僚は誰か。負の興味もなければ政治に関心が集まらない。