「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

トルシエ元監督から届いた「闘争心に欠ける日本の文化」敗因論

2019年02月05日 17時46分47秒 | サッカー選手応援
敗因というのは、もちろんアジアカップ決勝カタール戦のことです。森保監督のチーム作りが、ここまて順調に来ていたことに気持ちが行き過ぎて、敗因を的確にイメージ出来ないでいたところに、トルシエ元監督からのコメントが届きました。

フランス語ならこの人・田村修一氏がトルシエ氏のインタビュー記事をまとめてくださいました。この後、いろいろ示唆に富んだ部分をご紹介しますが、N umber webの「トルシエ、カタール戦の森保Jを嘆く。『優しさに満ちて無味無臭だった』」の原文もぜひお読みください。

カタール戦の敗因について、モヤモヤしていたことが、霧が晴れるようにスッキリしました。やはり日本代表を率いた経験と、その後の世界を見続けた経験によって、実に的確な指摘です。

もちろん、それは田村氏が「トルシエ氏かく語りき」と、自分の納得のもと活字にしているので、田村氏も的確に敗因を認識できたことを意味します。

私は試合中、原口選手、南野選手、堂安選手の2列目に大迫選手を加えた4枚の前線が、1-2でリードされた局面で、どうしてもっと強引にドリブルで仕掛けていかないのだろうかと気になっていました。ペナルティエリアの中あるいは直前なのに、まだパスでばかり崩そうとしている、誰かがリスクを負って突っかける場面も織り交ぜればいいのに、と感じていました。

これなどは、まさしくトルシエ氏の言う「ヨーロッパでプレーする日本人が、帰国して日本の環境の中に入ると日本の価値観を再度身に纏う。鋳型から出ることをヨーロッパでは求められるが、日本では自分たちの価値観の虜になっている。そこに私は問題があると思う」ということなのだろう。

また、あれだけ多くのCKを得たのに、こぼれ球をミドルシュートで叩き込もうという意思はどこへ行ったのだろうと思いました。

塩谷選手が今度こそ打つかとずっと見ていましたが、ピッチ上の塩谷選手は、どうだったのでしょう。繋ぎに徹しなければ、という気持ちだったのでしょうか。こぼれ球は絶対キャノンシュートだと決めていたら3本か4本は打てたのではないでしょうか。

でもトルシエ氏に言わせれば、森保監督という「日本的な価値観とシステムの体現者」のもとでは、個人主義的なプレーは生まれないだろう」ということであり、それを打ち破るほどの規格外の選手がいない限り無理だろう」というわけです。

やはり現時点では、そういう規格外のプレーをする選手がいないことも含めて力不足だったということです。
「これが敗因です」

コメント
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