「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

ハリルジャパンの世代交代、果たして図られるのか・・・。(2)

2016年09月11日 09時15分22秒 | サッカー日本代表
昨日の続きを書きます。タイトルも昨日と同じにして(1)(2)とさせていただきました。

昨日は、ナンバー誌の本田選手「特別ロングインタビュー」から一部をご紹介したところまで書きました。この本田選手の話から、彼のサッカーに対するメンタリティの変化が読み取れます。そして、それは中田英寿選手との比較で、興味深い違いを浮き彫りにしてくれます。

ことサッカー観に関しては、本田選手も中田英寿選手と同じだということがわかります。中田選手は若い頃、テレビでのインタビューで「ボクは別にサッカーだけが人生のすべてだと思っているわけじゃないから・・・」と話していました。

このフレーズは、結構インパクトのあった部分なので中田選手の「人となり」を語る時に、たびたび使われたように思います。

そして本田選手「人間・本田圭佑がたまたまサッカーをしていたに過ぎない」と言っています。さらに「これまで何度も言っている」と、最近になってそう思うようになったのではないことも話しています。

同じサッカー観を持つ本田選手と中田選手、では二人のサッカー人生で違うのは何か、それは中田選手がドイツW杯を最後に、スパッと引退してしまったこと、本田選手は「引退は確実に見えてきているけど、ロシアW杯まで。それが最後」と現役を続けていることです。

かねがね「サッカーがすべてではなく、いつ、他のことに関心が向いてもおかしくない」と考えている人間の心の中で、相対的に他のことへの関心が高まってしまう、あるいは急速にサッカーに対する情熱を失っていまうという、メンタリティの変化が生じた時、

中田英寿選手は自分の中でメンタリティに変化が生じた時、サッカーを続けるという選択肢がなかったのでしょう。それは一時的に日本サッカー界にとって大きな損失だったのですが、巧まずして世代交代につながりました。

注目すべきは「ビジネスマン・本田圭佑」の肩書を持ちながらサッカーを続けている本田選手の、明らかなメンタリティの変化が、アジア最終予選の中でどう作用するかです。現在の本田選手の中では、もはやサッカーが全てではありません。彼自身が言うように「サッカー以外の部分の熱量が上昇しているから・・・・」

本田選手は、自らの心の中でサッカー以外の部分に関心が高まっていて、以前と比べ明らかにサッカーに対する熱量が低くなっていることを、プレーの中でどうカバーしていくのでしょうか。

実は本田選手に関しては2015年01月23日に「本田圭祐選手のキャリアがピークから下降局面に入った日として記憶されるでしょう」と書き込みました。

今回第1戦で日本を破ったUAEに、PK戦の末敗れたアジアカップ準々決勝の試合があった日について書いたものです。まさにその後の彼は、キャリアの下降曲面をゆっくりと下っていると思ったほうがいいようです。

なのに、私たちがまだ、2010年の南アフリカW杯から2013年のブラジルW杯アジア最終予選・豪州戦、修羅場のPKの場面までの本田選手の幻影をいまだに追い続けているのかも知れません。彼はもはやプレー面でも意識面でも、その頃の彼ではないとみるべきでしょう。

では、もう一人のキーマン、香川真司選手についてはどうでしょう。

今回のナンバー誌臨時増刊号の中で「知将が語る世代交代の真実」というサブタイトルで「岡田武史・私は何故、本田を抜擢したのか」という4ページ建ての記事があります。二宮寿朗氏のレポートです。

その中に香川選手の持っているメンタリティを理解するくだりがあります。南アW杯の指揮をとった岡田監督は、最終メンバーから香川選手を外しています。その理由として「あのときの代表チームのレベルでは、チームへの犠牲心を全員が持って、チームのために尽くして一つにならなければならなかった。真司については最後の最後まで悩んだ上で外した。

もちろんアイツだってチームに尽くしてくれているのは分かっていた。正直、監督に言われたとおりのことをやるだけの選手じゃ面白くないし、真司はそこが魅力でもある。ただ、自分の力をW杯で試したいという気持ちが強すぎると感じた。・・・・」

これは、もう6年以上も前の香川選手について語っていることなのですが、現在の香川選手の、代表での好不調の激しいプレーぶりと決して無縁ではないように思います。

特に彼はいま背番号「10」を背負ってプレーしています。それが一層、好不調の落差を生んでいるように思います。

現在の香川選手は、自分が背負っている役割について、果たして、試合の中で自分がうまく機能しない時に「黒子に徹する」「他の調子のいい選手の力を引き出してやる」という意識になっているでしょうか?

私たちも良くないことに、背番号「10」の彼がチャンスに絡んでいなければ「香川選手が画面に出てこない」と見てしまいます。

しかし、それは観戦者の判断であって香川選手の判断である必要はないのですが、もしかしたら彼自身も「自分は思うようにチャンスに絡めていない」という気持に陥ってしまって、「黒子に徹する」「他の調子のいい選手の力を引き出してやる」という切り替えができないまま試合を終えているのではないかと思うわけです。

ここ2試合について特に言われているのは、香川選手が中央にいて本田選手が右にいる布陣、本田選手がしだいに中、中と寄りすぎて、香川選手が窮屈になっているという指摘です。

サッカーにすべてを集中しきれていない本田選手と、他の選手の力を引き出してやるという気持ちになりきれていない香川選手が、バイタルエリア中央で右往左往しているのかも知れません。

問題はハリルホジッチ監督がどう判断するかです。ハリル監督が、こうした二人のメンタリティに、きちんとアプローチした上で結論を出すのかどうかです。少なくともこれまでのところ監督は、二人の能力、経験値に信頼をおいてきたわけです。

それを今後も続けるのかどうか、続けるも選択、続けないも選択なのですが、前回も書きましたように、残念なことに、もはや残された時間がありません。打つ手が当たれば出場権獲得、打つ手を間違えば出場権喪失、そういう二者択一の段階に来ています。

ではハリル監督なら、その選択を誤らないと信じられるかどうかです。私は就任当初はW杯本大会の修羅場を知り、数多くの選手を見てきたハリル監督に大きな期待をしてきました。けれども最近心配になのは、その年齢からくる判断の迷い、判断の狂いです。

ハリル監督は全盛期の冴えを徐々に失ってはいないか、それが気になって仕方がありません。それを見極めるのは協会関係者の責任です。残された時間が少ないが故に、もし就任を要請した頃と、最近の様子に変化を感じたら、対応を躊躇すれば命取りになります。

ハリル監督にとって悩ましいのは、本田、香川にとってかわるべき人材の明確な手ごたえがないことです。それはわかります。しかし、この2試合で、選手交代の見立てに自信を深めたのも事実です。

これについてナンバー誌では、アギーレ前監督の言葉を借りて「プランBを準備しておくことが大事になる。本田を中心としたやり方だけで進んでいくのはあまりにもリスクが大きい」と書いています。(元指揮官の提言・豊福晋氏レポート)

「プランB」準備の必要性については、打つ手の内容は違うものの、元サッカーマガジン編集長の北條聡氏も提言していました。

前線の布陣や攻撃オプションについて、私があれこれと並べるのは控えますが、ハリル監督が「プランB」といった柔軟な策を駆使して今後を乗り切ってくれることを願います。

このあと、「ハリルジャパンの世代交代、果たして図られるのか・・・。(3)」ということで、プラチナ世代について書きたいと思います。










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