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「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

1986年の6月をHDDに収納中です。

2012年06月17日 16時57分23秒 | インポート

いまから26年前の1986年6月といえば、ワールドカップメキシコ大会、マラドーナがスーパースターに上り詰めた大会として歴史を刻んだ大会、今月は、その6月に収録された映像をVTRからHDDに変換して収納中です。

作業していると、いろいろな映像が出てきて、ついつい皆さんにお伝えしたくなる。

86年ワールドカップ大会の直前特番のような形で、テレビ東京が約1時間30分(CMが全部カットされている正味映像がこれだけですから、実際は2時間番組だったと思います)を放送していました。この大会は5月31日開幕のようですから、放送は5月下旬でしょう。

司会はテレビ東京「三菱ダイヤモンドサッカー」の名物アナ、金子勝彦さん、ゲストに釜本邦茂さん、松本育夫さん、そして漫画家の望月三起也さんである。望月さんのことをネットで確認したら今年74歳になられるようだ。お元気だといいが。

番組のタイトルが「テレビ東京スポーツスペシャル サッカーワールドカップ闘いの半世紀」であり、まずワールドカップが誕生してから約50年、過去12回の大会を振り返っている。

そのあと、メキシコ大会の大予想。さきの3人だけの予想ではなくスタジオに出場国24ケ国のうち12ケ国の日本駐在外国人を招いている。近年は、世界中の国の人々が留学やビジネスで日本に滞在しており、日本語も堪能、サッカーも大好きという外国人を呼ぶのが普通になっているが、当時はそういかなかったようで、呼んだのはほとんど大使館職員。

でも、大使館職員とはいえ、サッカー関係番組でこれだけ大勢の国の人をスタジオに呼んだのは、これが初めてなのではないでしょうか?

テレビ東京とNHK、日本が参戦しているわけではない大会をこれだけ熱心に取り上げて、それが日本のサッカーファンを増やしていったことは疑いないわけで、トヨタカップと高校サッカーを手掛けていた日テレと並んで、1986年以降の日本サッカー初期において功績大きいテレビメディアということになる。

6月の大会期間中、NHKのサンデースポーツなどもワールドカップにまとまった時間を割いて放送していたようだ。当時、サンデースポーツは現役引退後、華麗なる転身でスポーツキャスターを務めていたのが星野仙一氏だ。現地からレポートする釜本さんとのやりとりはレア物かもしれない。

この釜本さんのレポートの中で、いまでこそ当たり前に行なわれているパブリックビューイングがメキシコシティの広場で行なわれている映像が紹介された。メキシコはサッカーが盛んな国なので誰もがスタジアムで観戦したいがチケットがない。その当時のメキシコ市民の所得水準では高すぎて買えないというわけで、行政の粋なはからいとして実施されたとレポートされていた。なるほどである。

今回、HDDに収納した映像にはワールドカップも終わった7月、当時の日本リーグのカップ戦、JSLカップ決勝がある。古河電工VS日産自動車、会場は名古屋・瑞穂球技場、直前のJSLリーグ戦を制した古河電工、お正月の天皇杯を制した日産自動車、しかし試合は4-0で古河電工の圧勝。1985年頃から1987年頃の古河電工は強かった。読売、日産の2強時代に入る直前ということになる。当時、テレビ放送というと、ほとんどが前半途中からの放送開始で、時間枠が70分から80分程度。この試合も民放の放送でCMがすべてカットされているが正味70分だ。

まだ86年ワールドカップ大会の映像収納が続くので、次回もご紹介したい。しばらくお付き合い願いたい。

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