「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

確かに当ブログでも「久保クン」とクン付けしてました。

2018年08月29日 16時43分16秒 | サッカー選手応援
前節のJリーグ24節、マリノスに期限付きながら電撃移籍して、2試合目にしてスタメン出場を果たした久保建英選手、いきなり初ゴールを決めてチームの勝利に貢献しました。

翌朝のスポーツ紙のうち、スポニチと報知2紙が1面トップにそのニュースを持ってきました。
新たなスターを待っている気持ちの表れという気がします。

新聞、テレビ、ネットそれぞれが、いろいろな切り口で久保選手の快挙を紹介しています。ゴールに至った久保選手の動きやシュート技術の非凡さを絶賛する記事、マリノスへの移籍を決断するに至った心理的な葛藤や背景を分析した記事などが中心だった中に、「久保選手が取材陣にお願い」という小見出しがありました。

それは「これからは久保クンではなく久保選手てお願いします」というものでした。

それを読んで当ブログもドキッとしました。確かに当ブログも「久保クン」でした。1年3ケ月前、久保選手がトップチームの試合に初めて出場した試合、2017年5月3日、ルヴァン杯の札幌戦でした。

この時の久保選手と、札幌の選手としてピッチに立った小野伸二選手との、初めてのピッチ上での出会いにスポットを当て「元祖・天才シンジ選手と、後継・天才久保クンが初めてピッチで出会った歴史的な日」というタイトルで、5月16日に書き込みしました。

確かに「クン」付けそのものでした。
あれから1年3ケ月、久保選手はトップチームにいながら子供扱いで見られている自分が歯がゆかったに違いありません。取材陣に発した控えめなお願いは「自分はもう甘えから訣別します」という自分に対する宣言でもあったのだと感じました。

まだまだ、当たり負けや守備の甘さなど、足りない部分が多いのは確かですが、それを補って余りあるアタッカーとしての魅力は、小野伸二選手のデビュー当時も同様でしたから、我慢して使ってくれる監督に巡り会えた幸運を祝福すべきでしょう。

そのことは久保選手が一番感じていたようで、ゴールを決めたあと、真っ先に走った先は、ポステコグルー監督のところでした。

この先、この監督との新しい師弟関係のもと、久保選手が大いに活躍することを期待しましょう。
少なくとも当ブログは、本日をもって「クン」付けを終了します。
では、また。




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