「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

Jリーグ30年記念企画第三弾「サッカー指導者の未来像について」考えます。

2022年05月31日 21時34分54秒 | サッカー日本代表
Jリーグ30年記念企画第三弾は「サッカー指導者の未来像について」考えます。
このテーマについて、当フォーラムは「こうあるべき」とか「こうすべき」といった提言をしようとは考えていません。
このテーマを取り上げたいと思ったのは「サッカー界にとどまらず日本のスポーツ界で「パワハラ」問題が後を絶たない原因は「暴力を振う指導者が寂しく、孤立している人だから」」という驚くべき指摘を目にしたからです。

この指摘をできるだけ多くの皆さんに伝えなければならない、という思いで取り上げたというのが本心です。
それは、スペイン在住の日本人女性指導者からもたらされた指摘なので傾聴に値すると感じたのです。
その記事は、「スペインのサッカーに学ぶ「パワハラと指導」の違い/故オシム監督の「ブラボー」は「心理的安全性」を生んだ」という記事で、現在もスペインを拠点にサッカー指導者として活躍している佐伯夕利子氏にインタビューしたオルタナSのネット記事です。

インタビューで佐伯さんはこう話しています。
「これまではパワハラは、無いものにされてきました。私自身も日本で信じられないほど指導者が選手を罵倒する現場を目の当たりにしてきました。正直に言うと、その現場を見て日本のスポーツ界に失望した一人でもあります。
一昔前はほかの先進国からすると訴訟が起きて当然のことが、学校レベルで片づけられたケースが散見されていました。」

また、こうも述べています。
「プロ・アマ問わずスポーツ界は上下関係が基盤にあります。その上下関係に歪みが起きたときに、人はハラスメントをする生き物だと認識しています。一方で、人はその歪みを正すことができる生き物でもあります。
パワハラ対策に「模範解答」はありません。対策を考えるには、まず加害者はどこから来たのかをしっかりと検証する必要があります。」

そして、次のように指摘していらっしゃるのです。
「私は2018年から4年間、Jリーグの理事として多くの日本のクラブを見てきました。振り返ると、心が病んでいる人が多いと感じます。暴力を振う指導者の共通項に、「寂しさや不安」があります。ある一定の実績を収めた人たちなのに、寂しく、孤立していました。」

「私から日本の指導者に伝えたいのは、人として本質的なことを教えてほしいということです。日本の子どもたちは、正しいことを教え込まれ過ぎている印象を持ちます。そうして育った子どもは、人としての感情や衝動を表に出しづらくなります。私はこれを「感情の抑圧」と呼んでいます。我慢することを学習するのです。
言葉で論理的に説明する以上に、人として大事なことを教えられた経験があれば、「心理的安全性」を感じるようになり、ミスを恐れずにのびのびとプレーできます。」

ここまでの佐伯さんのインタビューを読んで感じたのは「正しいことを教える」ことと「本質的なことを教える」ことは違うということのようです。

つまり、こうではないでしょうか? 指導者が正しいことを教えたつもりでも、教えられたとおりにやらなければまずいと考えて、委縮したプレーに走る。

けれども、そこに「人は誰でもミスをするものなのだ、大事なのはミスをしたあと、どういう行動をとるかなのであり、その行動がキチンとできれば大丈夫なのだ」という指導が加わっていれば、「正しいことができるに越したことはないけれど、たとえミスしても、それをリカバーする行動をしっかりとるようにすればいいんだ」と考え、ミスを恐れずにのびのびとプレーできる、という意味ではないでしょうか?

記事は、そのあと「心理的安全性はオシムさんの「ブラボー」に学べ」と題して続くのですが、残念なことに、そこからは有料ネット記事になっているため、途切れてしまっています。

その前に、さきほど述べた「一昔前はほかの先進国からすると訴訟が起きて当然のことが・・・」というところですが、そうしたパワハラ問題を改善していくには、まだまだやるべきことが多くあるようで、佐伯さんは、
「改善の仕組みは「サーキュラ―」であるべきです。サーキュラ―とは、内通者や被害者を救うことはもちろん、加害者をも排除してはいけないのです。指導者の改善だけでなく、指導現場のパトロールも必要です。ここでいうパトロールとは問題を監視する意味ではなく、素晴らしい指導者を認めていくという意味です」と述べています。

ここでいう「サーキュラ―」とは、いわば「定期的に指導現場を巡回して、問題の有無を聞き取りしたりして、改善を促す役割の人」という感じではないでしょうか。

日本では、とかく、そういう人がうろうろしていれば「監視しに来た」という捉え方になりがちですが、もしパワハラの事例があれば改善に向けて、その人が役割を果たすのは当然ですが、一方で素晴らしい指導者、素晴らしいクラブがあれば、その事例も広く共有する役割も持つということのようです。

それにしても驚きではありませんか。スペインで長らく指導現場にいた人が日本の指導現場をご覧になって「心が病んでいる人が多いと感じます。暴力を振う指導者の共通項に、「寂しさや不安」があります。ある一定の実績を収めた人たちなのに、寂しく、孤立していました。」と感じたのです。

私自身は「さもありなん」と思えるような手がかりをもっていませんので「驚きだなぁ」としか言いようがなく「それって本当に心の病いってことですか?」と問い返したくなります。

そうであれば、つまり指導者そのものの教育・研修・指導、それも技術的なことではなく心理的アプローチから取り組む必要があるということです。

これは相当な「指導者教育研修プログラム」を構築しないと難しいですし、スペインではクラブ組織が育成の中心なので、クラブ全体にそういう網をかければいいのですが、日本では、小学校から高校まで、まだまだ町のサッカーチーム、学校の部活動が指導を担っていますから複雑で大変です。

ただ、そこに手をつけないと、日本サッカーにおける指導者の未来像は描けないと思います。
おそらく日本サッカー協会は、ある程度のことを考えてはいるでしょうむけど、文部科学省や毛細血管の先にあるような町クラブの果てまで巻き込むことについてはどうなのでしょう。
知りたいところです。

冒頭、申し上げましたように、今回の書き込みは提言型ではなく、スペイン発・佐伯夕利子氏の知見を皆さんにもお伝えしたいという趣旨です。

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