「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

Jリーグ30年記念企画第四弾「将来W杯ファイナリストになる日本代表は現在のトップクラスの延長線上にあるか」について考えます。

2022年06月04日 21時30分13秒 | サッカー日本代表
Jリーグ30年記念企画第四弾は「W杯でベスト8の壁を破り、ベスト4さらにはファイナリストになる日本代表、それは今のトップクラスの選手たちの延長戦上にあるのでしょうか?」ということについて考えます。
これは、「岡崎慎司、欧州でプレーをして気づいた「組織のため」に働く落とし穴」というJBpress黒田俊氏のネット記事に触発されています。

岡崎慎司選手は栄光を掴むためには「自分のためにやるからこそ人のために走れる。『人のためにやっていたらできないこと』なんだなって、あれで理解できた」と吐露しています。
この岡崎選手の記事のサブタイトルは「岡崎慎司が12年かけて学んだこと、それを次世代に伝えるには」となっています。

この記事で「岡崎選手は海外でのプレーが12年目を迎え、ブンデス(ドイツ)、プレミア(イギリス)、リーガ(スペイン)とさまざま国、リーグで「フットボール」を感じてきた。そこにあったのは「まだまだ日本は世界から認められていない」という思いだ。
 確かにヨーロッパでプレーする選手は増えた。けれど、だからといって「日本」の価値がグッと上がったわけではない。」
「僕は日本に誇りを持っています。海外にいると、日本って本当にすごいな、と思うことが多いんです。もっとできることがあるはずなのに、それを証明できないってもどかしいじゃないですか」

【このあと日を改めて書き込みます。お待ち願います】
【6月13日、続きを書き込みます】

岡崎選手が、そうもどかしく感じているのは、ピッチの上で「自分はチームが変わったりすると新しい環境が求めるプレースタイルに変えたりしてきて、得点パターンがどうしてもパスあきりで得点してきた選手であり、海外では単なる一人の選手でしかない、それが自分の力なんだ」という部分のようです。

たまたま、ここ2年間ぐらいの番組映像の整理をしていたところ、昨年12月フジTV系で放送された「激論 ! 2050年 世界一は夢のままか」というテーマの討論映像が見つかりました。スーパーサッカーで長年MCを務めた加藤浩次さんを司会役に4人の論客が意見を戦わせました。その中で、やはり「点をとれる選手」が出てくることが絶対条件という話題になり、その番組の中でも、岡崎選手が海外で経験した「点をとれる選手」の意味を語ってくれました。

それは、まさに日本人選手共通のもどかしさのようで、いわば国民性を背負ったFWなのかも知れませんが、岡崎選手が学んだのは「本当に点がとれる選手というのは、どのリーグに移っても、そのチームの要求に合わせなくても、すぐ結果を出せる選手であり、日本人選手も、そうならないと世界でいつまでも認められない」ということのようです。

その番組では、海外リーグ、特に4大リーグと言われるようなレベルの高いリーグを経験したきた内田篤人選手、大迫勇也選手、酒井高徳選手が「Jリーグと全く違うほどの差を感じている」と吐露していました。

番組では、Jリーグとレベルの高い4大リーグとでは何が違うのかをまとめていました。
(1)Jリーグは攻め急がないことを「良し」とするが、海外では、常に前を意識してプレーする。
(2)海外ではチャレンジすることが多いのに、Jリーグはミスを減らすことを意識しすぎる。
(3)Jリーグは常に組織で戦うことが求められるが、海外では個の突破を重視する。

おそらく、それぞれに注釈は必要だと思います。
(1)であれば、海外では常に前を意識しているものの、その中に緩急がつけられている。Jリーグでは緩急をつけることと、攻め急がないことが取り違えられている。
(2)であれば、海外ではゲームにおいて、例えばドリブルで仕掛けるとか、シュートを打つといったチャレンジと、周りのリカバーがセットになっているからチャレンジが活きるけれど、Jリーグには、今のところ、まだチャレンジを優先させるチームスピリットがない。つまりチャレンジを補償するだけのリカバーマインドがないということ。
(3)Jリーグの「組織で戦うスタイル」は誇れるスタイルだが、ここは突破で打開しなければならないというマインドとのバランスがまだ身についていない。海外で個の突破を重視するというのは、別に組織で戦うスタイルがないということではなく、必要なところでは個で突破するマインドが備わっていることからくる違いだ。このあたりは、各カテゴリーとも現場の指導レベルで積み上げていかないと難しい。

こうしたJリーグと海外リーグの違いは、やはり海外リーグで直接揉まれて体感しないと身につかないものですが、安易な海外挑戦は、かえって日本の評価を貶めると岡崎選手は語っています。
番組では、Jリーグからブンデスリーガに挑戦した鄭大世選手が苦しんだ海外挑戦の難しさを織り交ぜながら、岡崎選手が「食うか食われるかの世界に飛び込む覚悟と、そこで食ってやるという気概をもって続ける必要があるし自分もそういう気持ちで10年やっている。ダメだったら、またJリーグに戻ればいいやという気持ちでは、海外でのJリーグの評価を落としてしまう」

いまの日本選手たちが、海外の厳しい環境の中で戦っている、その心意気は多としますが、やはり欧州の中小リーグに甘んじていては、日本代表の未来が明るいとは言えないというのが正直なところで、海外に雄飛する日本人選手の分母が大きくなればなるほど、4大リーグのようなトップリーグで目立つ選手も増えていかなければならない。そういう状況が生まれるかどうかにかかっている、ということのようです。

さても番組では、「育成と指導」ということに関して、興味深い取り組みについて、いくつか紹介されていましたので箇条書き的にご紹介します。
まず、点のとれるFWを育てるために
(1)大阪・興国高校(ヴィッセル神戸からセルティックに移籍した古橋享梧選手の出身校)の監督さんが取り入れている「脳の働きを速くするトレーニング」
(2)ゴール前での力みを徹底的になくす「脱力トレーニング」
(3)ストライカーとして実績のある選手経験者が指導者になる「JFAストライカーキャンプ」

次に、育成について、現在、セレッソ大阪スポーツクラブで技術委員長をしている風間八宏さんの考え方を紹介しています。
(1)日本サッカーの育成は「学びから創造へ」の時期にしており、その育成の仕組みも変える必要がある一例は「年齢で選手を分けない、また最優秀な選手に合わせて指導していく。それについてこれる選手を増やす。また、セレッソだけの単位でなく、大阪全体といった広がりで指導していく」
(2)指導者を「資格をもった人」から「資質を持った人」に変えていく。必要な資質とは、①自分の目を映像化できる資質、②見えているものを言葉に変えて伝えることができる資質。③自分がデモンストレーションができる資質。

風間さんは、スペシャルな選手が出てきて欲しいが、そのためには指導者がスペシャルにならなければならない。指導者たちが、それぞれ分断された中でやって、それぞれ木を育てても、いま必要なことは「森いや、それ以上のジャングルのような森を作り、その森が育った結果、大きな喜びを味わおうよ」という言葉で締めくくっていました。

「日本からメッシが生まれる日もとう遠くないかも・・」というナレーションとともに。

ここで言う指導者とは、あくまで「育成」の指導者でありW杯を戦う監督・コーチ陣のことではありません。

2050年までにワールドカップで優勝できるチーム作りをイメージした時、たとえばDF陣を中心とした守り方、つまり点をとられない組織的な戦い方については、ある程度方向性が見えてきのではないでしょうか?

となると、あとは、どうやって点をとっていける選手を揃えチーム作りをするのか、FWの育成、あるいはスペシャルな選手の育成と、その指導者のあり方についても課題の段階から解決策提示の段階にきているのかも知れません。

【ここからあとは、6月17日に部分的に書き直しています】

残る最後の部分が、誰に監督の座を委ねるのか、そこを間違っては台無しになります。歴史が教えているのは、2002年日韓W杯を戦った日本代表のピークが2006年であることが誰の目にも明らかだったのですが代表監督を委ねたジーコの場合、本大会でもグループリーグを突破できる力量を持った人なのかどうかといったという視点が抜けていたのではないでしょうか。

ジーコ監督は、アジア予選を突破するというミッションを見事に果たし、その意味では妥当な人選だったのですが、2006年本大会をそのまま任せていいのかどうか、といった視点での検討はどうだったのでしょうか。

その当時の日本はまだまだ守り方を徹底すべき段階であり、それゆえトルシエ監督は、何を言われようと、バカの一つ覚えのように「フラットスリーシステム」をオートマチックなレベルまで訓練したのです。
2006年本大会グループリーグの対戦で、最終的に守り切れず敗退した日本代表の戦い方には、世界レベルで勝ち抜く整備された強固な守りという部分が欠けていたと言わざるを得ません。

ジーコ監督は、就任直後に「私の使命はアジア予選を勝ち抜いて、日本代表をW杯に導くことだ」と語っています。その使命を見事に果たしましたし、就任時には、予選を勝ち抜いて、その先に本大会で指揮を執る自分というものを意識していたことと思います。
見事使命を果たした偉大なジーコ監督に「本大会は任せられません」などとは言えるはずもなかったと思います。そこが、ある意味、落とし穴だったかも知れません。

いまさら振り返っても詮無い話ですが、少なくとも歴史の教訓として、これからの日本は、本大会でも勝ち抜いていけるだけの力量を持った監督選びが求められます。
アジア予選を勝ち抜いた監督に、そのまま本大会を任せるのが常識といった考え方に囚われると、同じ過ちを繰り返しかねないということです。本大会でグループリーグだけを戦えばいいという前提なら、それもいいかも知れませんが、勝ち抜くというミッションを達成するにはアジア予選を戦ったやり方と同じではないという考え方に徹しなければ、W杯でベスト8の壁を破り、ベスト4さらにはファイナリストになるという展望は、とても描けません。

日本はトルシエ監督でグループリーグ突破を果たすことができましたが、韓国はヒディング監督で、その上を行きました。韓国がレフェリーの味方を得たことを抜きにしても、ヒディングを監督に招いた時点で、この勝負、韓国の勝ちです。

代表監督に情熱や人格といった基本的な資質は当然ですが、W杯優勝をめざす監督は、やはり一段高いレベルの戦略家でなければなりません。
決して外国人監督でなければ無理とは言いませんが、あと10年、20年の中で、日本人にそういう人物が出れば良し、出なければ外国人もあり、といったところでしょうか。

そのような監督選びをする際、いまの日本で、それを指南できる人といえば岡田武史さんでしょう?  岡田さんが目指している「岡田メソッド」の最終形は日本代表がW杯で勝てるようになることです。岡田さんを思う時、現在、世界最高の監督といえるレアル・マドリーのアンチェロッティ監督を思い出します。
岡田さんはアンチェロッテイ監督の人間性もさることながら、戦略家としての能力を早くから評価していました。

アンチェロッティ監督がクラブ監督として「位人身」を極めた後、代表監督として日本を選んでくれれば、8年契約でも提示して来て欲しいものです。岡田さんをコーチにしてくれれば言うことなしです。

さて、次回は、Jリーグ30年記念企画の最終回、第五弾として「結局のところ、向こう50年ぐらい先、日本の社会において「サッカー」というスポーツ文化はどのような地位を占めているのでしょうか? 」というテーマで書き込みたいと思います。

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