「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

五輪イベント自体が商業主義に毒されすぎてしまった悲劇

2021年08月14日 19時23分14秒 | FIFA、サッカー協会
前回の聞き込みの冒頭「東京五輪2020」は終わりましたが、いろいろな意見はまだ続いています。私は一点の曇りもなく「開催してよかった」と思っていますし、堂々と申し上げたいと思います。」と書きました。

そして「そもそも、オリンピックというイベントは、単にアスリートのためのものだけではなく、地球上に住む私たちすべての人々に何らかのポジティブな影響を与えずにはおかないイベントです。」とも書きました。

そのオリンピックというイベントが、その趣旨にそぐわない形で歪められる危険があるのが、かつてのベルリン五輪に代表される政治利用、権力のプロパガンダの道具になってしまうことですが、もう一つ危険なことが、商業主義に歪められることです。

8月12日の産経新聞に「TOKYO2020+1 次代への教訓」という短期連載が掲載されていますが、この日のテーマは「解けない『商業主義』の矛盾」です。

書き出しで「6日午前11時に開始予定だった東京五輪のサッカー女子決勝は、前夜になって午後9時半キックオフに変更された。・・・・」とあります。
そもそも、真夏の午前11時キックオフ自体が狂気の沙汰の設定てしたから、当然と言えば当然の変更なのですが、元はといえば、IOCがアメリカNBCテレビと2032年までに日本円に換算して約8400億円という巨額の放映権契約を結んでいるため、NBCとしては高視聴率が見込めるアメリカ大陸のゴールデンタイムに放送できるよう、試合のキックオフ時間が設定されるという、選手の試合環境などまったくお構いなしの決め方なのです。

さらに言えば東京五輪の7~8月開催自体も、57年前の前回大会が10月10日開会式だったことと比較しても「どうして?」ということになるわけですが、これもNBCが「7~8月は世界的なスポーツイベントとかぶる心配がなく高視聴率が見込めるから」ということからきています。IOCがアスリートファーストでオリンピックを開催するという期待は、とっくの昔に捨て去られた幻想で、IOCはスポーツ貴族といわれる幹部たちが手にできる巨額マネーという商業主義に完全に毒されている組織だということです。

記事は書いています。「IOCの収入の9割は各国・地域の五輪委員会や各競技連盟などに配分され、それによって特にマイナースポーツは助けられている」とのことです。確かにスポーツ振興に資金は欠かせませんが、ただ膨張させればいいというものではないように思います。

こんなやり場のない矛盾を解決する手立てはないのでしょうか?
同じことはFIFAにも言えますので、どうしても書いておきたいと感じました。

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