「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

吉田麻也選手、五輪代表の精神的支柱を証明した2枚の写真

2021年08月10日 18時28分15秒 | サッカー選手応援
「東京五輪2020」は終わりましたが、いろいろな意見はまだ続いています。私は一点の曇りもなく「開催してよかった」と思っていますし、堂々と申し上げたいと思います。

そもそも、オリンピックというイベントは、単にアスリートのためのものだけではなく、地球上に住む私たちすべての人々に何らかのポジティブな影響を与えずにはおかないイベントです。(ただし政治利用目的の、かつてのベルリン五輪、そして来年予定の北京冬季五輪は別扱いですが)

したがって、開催地に選ばれれば「中止」「返上」などの選択肢はあり得ないわけで、コロナ禍といっても、すでにサッカー欧州選手権そして南米選手権は開催されているわけで、それよりずっと感染リスクを低く抑えている日本(東京)が開催しないという選択肢はない、というのが私の明快な意見です。

そろそろ、この議論は終息して欲しいと思います。

さて本題ですが、我が五輪サッカー男子代表の戦いも終わって、サッカーシーンは新たな話題に移りつつあります。
その中で、手元に2つのスポーツ紙の写真がありますので、それをお見せしながら、キャプテンを務めたオーバーエイジ枠の吉田麻也選手が、いかにこのチームの精神的支柱であったかを書きたいと思います。

一つは、8月1日朝刊の「スポーツ報知」、もう一つは8月9-10日の「エルゴラッソ紙」です。
やはり写真は、文字で説明するより、かるかに雄弁に物語ってくれます。


2021.8.1「スポーツ報知」撮影・竜田卓氏


2021.8.9-10「エル・ゴラッソ」photo :Getty images

上の写真は、準々決勝ニュージーランド戦で勝負を決めるPKのキッカーとなった吉田麻也選手が、ゴールキーパーの谷選手のところに駆け寄った後を追うようにイレブンが集まり、ご覧のような歓喜の輪ができました。まるで年長の兄のもとに弟たちが先を競って集まっているようです。

下の写真は、3位決定戦メキシコ戦に敗れた後、ピッチにへたり込んで嗚咽を続ける久保建英選手に、吉田麻也選手ともう一人の選手が声をかけています。これも、まるで悲嘆にくれる弟を優しく慰める気丈な兄といった趣きです。

この2つの写真を見て私は、つくづく、このチームで吉田麻也キャプテンは、プレーもさることながら、そのキャプテンシーという精神的支柱としての存在を象徴していると感じました。

この2つの写真は、東京五輪サッカー男子代表を象徴する写真でもあり、吉田麻也キャプテンを象徴する写真でもあると感じてご紹介しました。




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