石田梅岩をご一緒に勉強しましょう。
梅岩は江戸中期、京都に生きた商人であり、自ら編み出した経済思想を
"辻講釈"や講席、ゼミナール形式の勉強会などを通じて社会に広めた
実践者でもあります。彼がこの世に生をうけたのは、1685年。江戸の
前中期、元禄から享保にかけての時代に約60年の生涯をまっとうして
います。
その頃の社会は、驚くほど現在と似通った状況にありました。当時は
徳川幕府の治世が安定し、農産物の生産の急速な向上や流通システムの
整備を背景に商業社会が広く成立し始めました。
やがて元禄バブルは崩壊を迎え、その後始末のために、徳川吉宗が享保
の改革に乗り出したのが、1716年。そのころは、京都の大店の7-8割が
倒産してしまうほどの激しいデフレ不況に見舞われていました。
そのころから日本は人口減少期に入ります。
徳川家康が江戸に幕府を開いたころ、1.600万人ほどだったとされる日本
の人口は、元禄バブルが崩壊するころにはおよそ2倍、3.200万人にまで
ふくれあがっていました。
そこから一転、人口は減少の一途をたどります。現代と同様、社会活力や
労働人口の低減が問題になっていた時代なのです。
つまりこの頃の日本は現代同様、不透明な先行きを憂い、自信を喪失し、
どのように生きていくべきかという確固とした指針を求めていたのです。
そうした時代背景の中で登場した石田梅岩とはいかなる人物だったのか。
のちの日本資本主義や日本型経営の原点ともなる経済思想を独学で編み
出した町人の思想家であり、それを社会に広めようとした実践者でもあり
ました。
参考書
魂の商人 石田梅岩が語ったこと
山岡正義著
サンマーク出版
iPadから送信
梅岩は江戸中期、京都に生きた商人であり、自ら編み出した経済思想を
"辻講釈"や講席、ゼミナール形式の勉強会などを通じて社会に広めた
実践者でもあります。彼がこの世に生をうけたのは、1685年。江戸の
前中期、元禄から享保にかけての時代に約60年の生涯をまっとうして
います。
その頃の社会は、驚くほど現在と似通った状況にありました。当時は
徳川幕府の治世が安定し、農産物の生産の急速な向上や流通システムの
整備を背景に商業社会が広く成立し始めました。
やがて元禄バブルは崩壊を迎え、その後始末のために、徳川吉宗が享保
の改革に乗り出したのが、1716年。そのころは、京都の大店の7-8割が
倒産してしまうほどの激しいデフレ不況に見舞われていました。
そのころから日本は人口減少期に入ります。
徳川家康が江戸に幕府を開いたころ、1.600万人ほどだったとされる日本
の人口は、元禄バブルが崩壊するころにはおよそ2倍、3.200万人にまで
ふくれあがっていました。
そこから一転、人口は減少の一途をたどります。現代と同様、社会活力や
労働人口の低減が問題になっていた時代なのです。
つまりこの頃の日本は現代同様、不透明な先行きを憂い、自信を喪失し、
どのように生きていくべきかという確固とした指針を求めていたのです。
そうした時代背景の中で登場した石田梅岩とはいかなる人物だったのか。
のちの日本資本主義や日本型経営の原点ともなる経済思想を独学で編み
出した町人の思想家であり、それを社会に広めようとした実践者でもあり
ました。
参考書
魂の商人 石田梅岩が語ったこと
山岡正義著
サンマーク出版
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