パオと高床

あこがれの移動と定住

穂村弘『ドライ ドライ アイス』(沖積舎)

2009-07-24 23:02:54 | 詩・戯曲その他
7月15日の朝日新聞夕刊に中国の詩人北島の記事が載っていた。その同じ面に「私の収穫」という欄があり、現在は岡井隆がその欄を担当している。その中で岡井は「九〇年代の終りからはじめた短歌朗読の会も十年続いているが石井辰彦、穂村弘や、詩人もまじえて参加者はみな私の得たものだ。」と書いていた。ちょうど、加藤治郎『短歌レトリック入門…修辞の旅人…』で、「ゆがみ」だったか「修辞の彼方に」だったかの章で、穂村弘の歌が引かれていた。で、この歌集をぱらぱらと読む。うん、面白い。さっとアトランダムに目についた歌を十首ほど。

 シャボンまみれの猫が逃げだす午下がり永遠なんてどこにも無いさ
 ガードレール跨いだままのくちづけは星が瞬くすきを狙って
 水銀灯ひとつひとつに一羽づつ鳥が眠っている夜明け前
 「月にいるのは兎? サーカス逃げだした空中ぶらんこ乗りの兄妹?」
 風の交叉点すれ違うとき心臓に全治二秒の手傷を負えり
 「フレミングの左手の法則憶えてる?」「キスする前にまず手を握れ」
 あ かぶと虫まっぷたつ と思ったら飛びたっただけ 夏の真ん中
 靴の紐結ぶおまえの両肩を入道雲がつかんでいたよ
 「神は死んだニーチェも死んだ髭をとったサンタクロースはパパだったんだ」
 叫びながら目醒める夜の心臓は鳩時計から飛びだした鳩
 トナカイがオーバーヒートを起こすまで空を滑ろう盗んだ橇で


2006年に発行された歌集。歌人は、1962年札幌生まれとある。
抒情を乾燥させながら、暴力性と侵犯性を今時の弱さに封じ込めて漂わせる。そして、どこか読み手を脱臼させる歌。会話のカギ括弧の使い方も巧みで、31音の中でダイアローグを実践している。また、知的な操作も魅力的で、「永遠なんてどこにも無いさ」はランボーに繋がるし、「神は死んだ」は、そのまま父性喪失の現代文学を背景に宿しているようだ。
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