パオと高床

あこがれの移動と定住

太宰治「散華」(ちくま文庫『太宰治全集6』)

2012-04-28 14:52:40 | 国内・小説
唐突に太宰治の「右大臣実朝」が読みたくなったのは、辺見庸の『瓦礫の中から言葉を』を読んだからかもしれない。それとも、吉本隆明の『悲劇の解読』をパラパラとめくったからだろうか。

ところが、その「右大臣実朝」を読んでいる途中で、この全集に収録されている「散華」という小説に引っかかった。
「散華」という小説の題名から誰を思い浮かべるだろう。高橋和巳かな。と、それはおいておく。この「散華」、書き出しに立ち止まった。

  玉砕という題にするつもりで原稿用紙に、玉砕と書いてみたが、あま
 りに美しい言葉で、私の下手な小説の題などには、もったいない気がし
 て来て、玉砕の文字を消し、題を散華と改めた。

さらりと始まる。太宰治の小説は最初の掴みがホント、上手い。
が、この書き出し、上手いと感じると同時に、えっ、と思わせる。「玉砕」と「散華」、どちらが美しいのだろう。それで、この書き出しの印象が変わる。そのまま読めば、そのままだ。が、「散華」のほうが実際は美しいのではないかと思いだすと、「玉砕」と言わないための韜晦のように見えてくる。または「散華」に意味を持たせるための画策。発表は昭和19年である。太宰は「玉砕」という言葉をあえて、避けたのではないだろうか。
しかし、それなら、わざわざ書く必要はない。ただ、「散華」という言葉だけを使えばいい。だが、「玉砕」を使わないことへのエクスキューズが入っていることで、時局に対する作者の思いへの想像が生まれてしまう。「あまりに美しい言葉で」を皮肉だとまで言ってしまいたい気持を起こさせる。いや、そこまでは言わないまでも、「玉砕」という言葉に作者が違和感を持っていたのではないかと感じることはできるのだ。

その違和感への想像。ひとつは、「玉砕」の砕け散る華々しさへの違和があったのではないだろうか。もうひとつは、「玉砕」という言葉が喧伝されることで生まれた、その流通言語化への違和。それが太宰の中にあったのではないかと思う。このことは、「散華」の持つ言葉のイメージとも関係する。「散華」は、砕け散るのではない。花が散り落ちる。花をまき散らす。仏教用語である。ここには、祈りの印象も宿る。

ただ、これを反戦の考えから選びとられた言葉とだけ解釈することにも抵抗はある。太宰治は「死」を伴走させ続けた作家である。人間相互の関係への違和と他者のまなざしに対する問いを発し続けながら、そこに常に「死」を抱えていた作家であると思う。その「死」に際して、「生」の恥へのおそれや潔さへの憧憬のようなものを表し続けた作家である。であれば、太宰の生理が、大義の前に死ぬ「玉砕」という言葉を、自らにないものとして、おこがましく感じ、「もったいない気がして」、避けたとも考えられるのだ。
読者は、この書き出しに何を感じとるか、すでに、この書き出しで、太宰の術中にはまる。

小説は、「私」の二人の友人の死について表現する。

  ことし、私は二人の友人と別れた。早春に三井君が死んだ。それから
 五月に三田君が、北方の孤島で玉砕した。三井君も、三田君も、まだ二
 十六、七歳くらいであった筈である。

三田君については、実在を示す書簡が見つかったらしい。ここで、「玉砕」が使われている。これは、戦死がわかる言葉として使用されている。
小説を書いている三井君は、「ところどころ澄んで美しかったけれども、全体がよろよろして、どうもいけなかった。背骨を忘れている小説」を書いていて、「私に悪口を言われ、死ぬまで一度もほめられ」ないまま肺の病気で死ぬ。「このような時代に、からだが悪くて兵隊にもなれず、病床で息を引きとる若いひとは、あわれである。」と太宰が書くように、おそらく、無用のものとしての死が、ここには横たわっている。だが、この病床での死を太宰は「三井君の臨終の美しさは比類がない」として、美しく描きだす。「散華」のイメージに昇華するのだ。

 御母堂を相手に、しずかに世間話をしていた。ふと口を噤んだ。それき
 りだったのである。うらうらと晴れて、まったく少しも風のない春の日
 に、それでも、桜の花が花自身の重さに堪えかねるのか、おのずから、
 ざっとこぼれるように散って、小さい花吹雪を現出させる事がある。机
 上のコップに投げ入れて置いた薔薇の大輪が。深夜、くだけるように、
 ぱらりと落ち散る事がある。風のせいではない。おのずから散るのであ
 る。天地の溜息と共に散るのである。空を飛ぶ神の白絹の御衣のお裾に
 触れて散るのである。

もうひとりの三田君の死については、こう書く。

  もうひとり、やはり私の年少の友人、三田循司君は、ことしの五月、
 ずば抜けて美しく玉砕した。三田君の場合は、散華という言葉もなお色
 あせて感ぜられる。北方の一孤島に於いて見事に玉砕し、護国の神とな
 られた。

この「玉砕」という言葉に何を感じるか。「散華」という言葉は、三井君の死に充てられていて、もし、三田君だけの死を書くのであれば、小説の題名は「玉砕」だったかもしれない。だが、この「玉砕」に「ずば抜けて」と形容句を付けている点や「散華」も「色あせ」ると書かれたところに滲む痛みのようなものは何だろう。

三田君については枚数も多く、友人の戸石君や三田君の詩の先生にあたる山岸さんなども登場する。
そして、この小説に取りかかったのは、その三田君からの最後の一通の手紙を受け取ったときの感動を書きたかったからだと、「私」は書く。その手紙は、

 御元気ですか。
 遠い空から御伺いします。
 無事、任地に着きました。
 大いなる文学のために、
 死んで下さい。
 自分も死にます、
 この戦争のために。

太宰は、この「死んで下さい」を、「よく言ってくれたと思った。大出来の言葉だと思った。」と書く。文学のために死ぬ。それを自然に「死んで下さい」と言った三田君の言葉に感動しているのだ。「文学のための死」と「戦争のための死」がここでは、対等に対句されている。その一点を太宰は「献身」という言葉で括りあげる。

 自己のために死ぬのではない。崇高な献身の覚悟である。そのような厳
 粛な決意を持っている人は、ややこしい理屈など言わぬものだ。激した
 言い方などはしないものだ。つねに、このように明るく、単純な言い方
 をするものだ。そうして底に、ただならぬ厳正の決意を感じさせる文章
 を書くものだ。

太宰は潔い死に憧憬をもってはいる。しかし、それが憧憬である以上、その不可能さはより強い。そんな中にあって、「献身」の死をここに見いだしているのである。死に意味づけを与える。これを単に戦争讃美、お国のためと一括りにするわけにはいかない。なぜなら、ここには「戦争」も「文学」も、それへの「献身」において、死に意味づけを与えうる対等のものだという思いがあるからだ。

 純粋の献身を、人の世の最も美しいものとしてあこがれ努力している事
 に於いては、兵士も、また詩人も、あるいは私のような巷の作家も、違
 ったところは無いのである。

それぞれが、優劣によって序列づけられるのではない「純粋な献身」が述べられている。「戦争」のためだけが、ことさらに書きたてられているわけではないのである。が、一方で、時局の中では、それぞれの所属での「献身」を強要される局面も生みだしていくのだろう。
しかし、この小説では、同時に病床で死ぬ三井君の死も描かれているのである。この三井君の死も併置されているところが、小説「散華」に奥行きを与えている。「ために」ではない死。そこにも太宰のまなざしは注がれているのである。時局は「献身」をも翼賛化する。三井君の死は、そこから逸れている、個人の死と考えることができるのだ。

いくつかの読みが可能な短編。小説は、読みのはざまを駆ける。まるで、何ものかに絡め取られるのを嫌うように。
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