パリ在住の北京出身作者によるフランス語の小説である。原題は『天の平安の門』で、「天安門」という固有名詞を題名にしているわけではなく、それをフランス訳した題名自体に小説の内容に関わる含意がある。どうしても時期的に楊逸の小説と比較してしまうようになっているのだが、この作家24歳ぐらいの時の処女作で、10年ほど前の小説の翻訳である。「天安門事件」を書くということは、当然、それをどう書くかということに繋がり、自らをどこに置くかが問われてくるのだと思う。シャンサは自身が高校生のとき向かえたこの事件を、まず自分自身との関係で描き出そうとしているようだ。それはシャンサが生きていることと密接に重ね合わされる。民主化運動の主導者の一人である主人公の女性が、少女時代にどんな違和感を感じたか、世間はその私の違和感にどう応えたかがベースとして語られる。これはシャンサ自身が感じた社会との違和感である。その違和や社会との齟齬が、不条理をもたらし、それは、天安門の民主化運動に繋がっていく。ここには若さが持つエネルギーがある。それは若さが持つピュアな感性と結びついている。一方、この出来事を巡る立場の違った同世代の「あなた」に向けて、私たちの関わりは何なのかを問おうともしているようだ。立場の違う鎮圧軍側に属してしまう青年を別の章で描く。この二つの立場に、もうひとつ上の世代を描く章が挿まれて、交互に小説は進んでいく。鎮圧軍側の青年が、軍隊に入り、教育を受け、成長する過程が描かれる。彼の違和感は心の奥深くに封じ込められる。しかし、その彼が逃亡した主人公を追ううちに、主人公の日記に触れ、彼女が受けた状況を知り、新たな価値観に出会ってしまう。そして、青年は主人公との交点を求めるように、追跡を続けていくのだ。この立場の違いを描く章が、短い文の文体で、比喩を効かせながらスピーディに展開していく。後半、逃亡して海辺の村に来て、言葉をしゃべることができない、しかし、鳥などと会話する青年に出会い、かつて社会から攻撃を受ける原因になった恋の相手の面影を抱きながら、日常の幸せのなかに光を見いだしていくところから、主人公の新たな成長へと話は進んでいく。「天安門事件」を描くことは、今の作家たちにとって、楊逸もそうであったように、「天安門」以降を書くことであり、現在の中国に至る状況と今の中国自体をあぶり出すことを要請しているのかもしれない。海辺の暮らし、そしてさらに、森への逃亡と森のなかでの生活は、徐々に象徴性を増すようにして、どこかファンタジックになっていく。そこに小説としての問題もあるのだろうが、この若書きの持つイメージの勢いは魅力的でもある。前を向き、シャンサが今いる地点に、小説の主人公を至らせようとする「天の平安の門」へ向かう立ち姿は、それを追う青年の姿と重なって、希望の力であるような読後感を感じた。主人公を、作者であるシャンサが今いる地点へと歩き出させること。これが、この小説が描き出した境界線になっている。ちょうど、この小説の前に『蒼ざめた馬』を読んだが、世紀末的な虚無感の色彩に彩られた『蒼ざめた馬』と違って、この小説の挫折感や痛さは、前向きの背筋の立った姿勢に貫かれているような気がした。この印象は楊逸の小説にもあった。一概には言えないが、これが中国の持っている、現在の一面なのかもしれない。それにしても、外国で、その国の言葉で小説を書く中国人の作家が活躍している。母語以外の言葉で書く、越境した作家たち。「脱領域」の作家たちのなかに確実に中国人作家がいる。その彼らは今、積極的に「中国」を描き出そうとしているようだ。そう、音楽の世界でもランランなどのソロの音楽家だけではなく、多くの楽団のなかで中国人演奏家が活躍している。中国は製品の超輸出国としてだけではなく、人材の輩出国、文化の輸出国としても強い力を持っている。この人たちが描き出す世界に何が見えるか、目が離せない。
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