2部構成になっていて、1部11篇、2部連作4篇の短編、しかもかなり短い短編(?)が収録された小説集。
全体はSFもしくはSFファンタジーといったテイスト。ただ、今、小説はかなりボーダレスで、特に現代小説は、
SF的要素や推理小説的要素が充溢している。ましてや韓国小説界は、少し前の日本の小説界のように純文学とエン
タメの区別はないようで、立て続けに翻訳される小説は世界基準の文学ジャンル同様、ジャンル境界が溶解している
ように思う。
表紙裏や解説で手際よく各短編が紹介されている。
表紙裏の紹介の一部。
「もしも隣人が異星人だったら? もしも並行世界を行き来できたら?」など。
隣に異星人が住んでいるので、家賃が安くなって借りられたマンションに暮らすスジョンと隣人との交流を描く
表題作「となりのヨンヒさん」。
碁盤の中に宇宙を見ながら宇宙に行くことを夢みる主人公の挫折と夢の継続を描いた「宇宙流」。
朝鮮半島の分断や世界の様々な場所で起こっている内戦などを背景にしたと思われる「帰宅」。この小説では地球と
月の争乱で火星に避難し、生き別れ、母語を喪失した主人公が姉に再会するという状況が描かれている。
未知のウィルスを扱い、今、切々と痛みがくる「最初でないこと」。
「時空間不一致」の「非同時的同時性」を持つ、似ているのに違う世界に入り込んだ主人公の物語「雨上がり」。
この物語の主人公は、違和感の中で存在が希薄化していく。別の世界の中だから、学校の周りの生徒は彼女を記憶できず、
彼女自身の存在も薄れていく。そんな彼女を、同じ経験をした教師が、本来の時空に戻そうと、時空の隙間を探す。
この小説も、様々な同一性への違和や不和が、認知と親和性を求めている現在への寓話として読める。
相手が突然デザートになる「デザート」という小説もある。
それぞれの小説が奇想に貫かれている。
ただ、面白いのは、その奇想からではなく、それがまるで普通な状況として描かれていることであり、
その着想の奇抜さを衒ってないところだ。不思議なはずなのだが、普通に受け入れられるている設定の中で、
夢の大切さやお互いが理解し合うこと、生活をするということのささやかだけれど大切なことが描かれていく。
ほのぼのとしながら切なかったり、どうしようもなさが切実だけれど受容できたり、わからないし理解できないけれど
拒絶には結びつかなかったり。ああ、違和感は違和感としてそこここにありながら、共感は共感として存在していて、
共感や共鳴は同じであることによってのみ生まれるのではないということをふわりと描いてくれる。
小説が描く近未来は、どこかもう現代の枠組みの中に入っているのかもしれない。
結局、小説は今を描くもの、なのかもしれない。奇抜な設定はむしろ現実の異様さを静かに伝えてくれる。
姉が私に、本当に地球語を一つも覚えていないのかと聞き、私は三日間繰り返し聞いた地球語で、
ごめんなさいと言った。姉は涙を拭った。(「帰宅」)
ヨンヒさんとスジョンの間に、宇宙のはるかかなたの炎と南極に揺らめくオーロラと冬に咲く紫がかった
蓮の花のような熱気が、星くずみたいな光の粒子をばらまいて、一瞬のうちに通り過ぎた。(「となりのヨンヒさん」)
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