パオと高床

あこがれの移動と定住

司馬遼太郎『国盗り物語』(新潮文庫)

2020-04-21 23:38:35 | 国内・小説

やっぱり面白い。久しぶりに司馬遼太郎の長編を読む。
この文庫は、数年前に大阪の司馬遼太郎記念館で買った。ブックカバーがいい。

主人公は全4冊の最初2冊が斎藤道三。後半2冊は明智光秀と織田信長。
小説連載は63年から66年、NHKの大河ドラマになったのが1973年ということ。
執筆時期は『竜馬がゆく』とかぶっている。明智光秀が幕末の奔走家に似ているという表記があったこともうなずける。
すでに歴史を経たからこそ鳥瞰できるのだろう。ひとつの作品からどんどんと次の作品がつながっていく。
作者自身が歴史の豊饒のただ中を疾走、散策していくようだ。だから、司馬の小説はだんだんと物語から離れるように、
作者が常に時代や人物と語りあい、作者自身が現代と歴史的時間の中を往来するようになっていったのだろう。だから、
今魅力的な歴史家磯田道史のように、常に歴史を現代史として見つめる眼差しにつながっていくのかもしれない。

それにしても、司馬遼太郎の小説の魅力の一つは、未知のキャラクターを際立たせることだ。
坂本竜馬もそうだが、道三も明智光秀も知る人しか知らない歴史上の人物だった。しかも道三や光秀はむしろ悪人。
それを司馬は活写する。『坂の上の雲』の秋山兄弟もそうだ。『花神』の村田蔵六もだ。
で、その人物の魅力的な定稿を作ってしまう。

特に初期の小説は時代を画然と分かつために能力の限りをつくす個性が躍動する。一生青春のように生きる人物が、
旧体制から抜け出そうとする時代の青春と共に生きる「颯爽」とした姿を描き出す。そこに惹かれる。
でも、その一方で『燃えよ剣』の土方歳三も書いている。信長と光秀の比較も、考えようによっては竜馬と土方の違いなのかもしれない。
もちろん、信長はある意味凶暴だが……。
ただ、彼らはみな自らの合理を貫く。もちろん人間は不合理であり、情念を抱え込んでいる。
だが、司馬は明晰な合理性と果敢な行動力で時代の狂気や不合理と抗う人物を屹立させる。
彼が何度も語っている昭和の戦争に向かう狂気と、戦争の不合理への強い憤り、そして何故そうなったのかという執拗な問い、
そして悔いがそこにはあるのだろう。

いま、大河ドラマは「麒麟がくる」で明智光秀を扱っているが、道三のミッションをこなすためにあちらこちら動き回る活動的な光秀や、
鉄砲の名手ぶり、黙考するが感情的な面などなど、司馬が作り上げている明智像がかなり投影されている。
で、今回も司馬節に酔ったのだが、司馬の文章は詩的だったり、漢文的だったり、随筆風だったりと楽しめる。
センテンスの展開も早く、心地よい。
たとえば、道三のいくさに向かう情景。

  月が馳走(ちそう)といっていい。
  するどく利鎌(とがま)のすがたをなし、峰の上の天に翳(かげ)ろいのない光芒(こうぼう)をはなちつつ、
 山をくだる道三とその将士の足もと を照らしていた。

とか、

  どの村にも春が訪れている。城壁から遠望すると、梅の多い村は白っぽく、桃の多い村は淡々(あわあわ)と紅(あか)く、
 ひどく童話的な風景に みえた。そういう春の村々にむかってむなしく貝を吹きたてている道三の兵もまた、一幅の童画のなか
 の人ではないか。
 
とか。あとひとつ、ああ、こういう書き方をするのかと、

  光秀は決意に時間がかかる。
  が、いったん決意したとなると、そのあとのこの男の行動は、構図の確かな絵師のように、運筆が颯々(さつさつ)としている。

「颯々」か。うまい表現だよな。

歴史上の人物がどんな持ち物を持っていたかは、持ち物が残っていればわかるのかもしれない。
また、様々な記録も残っているだろう。そこから、その人物の嗜好性や価値観に至り、では、この人はどんな暮らしををして、
どんな人を好んで、であれば、この場面があったかもしれなくて、実際にその場面が記録されている場合もあり、そこではこんなことを
言ったかもしれなくて、だから、この出来事が起こって、その出来事のときにはこのように考え、あるいはこう衝動的に感じて、と想像して、
創作して、ああ、人物は、こうして小説のなかを生きるのだと思わせてくれる。だから、司馬遼太郎は小説家なのだ。
と同時に、その歴史上の人物が、そういうふうに彼の時代のなかで生きていたのだと思わせるところが、司馬を歴史の語り手にする。
さらに、そこに司馬という現代の知性が、歴史をどう捉えるかという価値観を記述し語る。確かに司馬は歴史家でもある。
司馬史観ということばが生まれてしまうのかもしれない。本人はこのことばをどう思っていたのだろう。
彼は一貫して想像力に溢れた歴史小説家だと僕は思う。それが司馬遼太郎の最大無二のすごさだ。

見てきたように語ることが実際ではない。だが、見てきたように語られたものが持つ想像力と創作力は、
そこにあった歴史がどんな夢や現実を孕んでいたか、どんな彼が彼女が、あなたが私が生きていたかをあぶり出していく。
やっぱり、司馬遼太郎は面白い。
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