パオと高床

あこがれの移動と定住

ピーター・へスラー『北京の胡同』栗原泉訳(白水社)

2015-04-13 13:27:59 | Weblog
激変中国。人々はその渦中で生きる。暮らしていく。
訳者あとがきによると「2000年から10年あまりにわたって主に『ニューヨーカー』誌に掲載された記事を収めた作品集」が本書である。

「野生の味」という、この本、冒頭の一篇。

  「ネズミは大きいのにしますか、小さいのにしますか」ウェイトレスに訊かれた。
  ここ蘿崗で、私は難しい選択をするのにちょうど慣れてきたところだった。

と書きだされる。有名なネズミ料理店に来た時の話だ。

  「大きいのと小さいの、どう違うの?」と私。
  「大きいネズミは草の茎を、小さいのは果実を食べます」
  そう言われても、どちらがいいかわからない。そこで今度はずばりと訊いた。
  「おいしいのはどっち?」
  「どちらもおいしいです」
  「お勧めはどっち?」
  「どちらもお勧めです」

まったく、その通りなのだろう。でも、ここには違和感がある。作者は、この違和感を大切にする。それを変だと決めつけるわけではない。
そこに生活と暮らしがあることを書き表すのだ。名前を持った人がいるのだ。
作者は、関わりを持った愛すべき人物の名を、克明に書き記す。そして、交わした会話、交流を描く。
振興開発された地域に店舗を移し、ライバルのレストランと競い合いながら、自分の店をアピールしていく野生料理店2店の姿に、
奇妙な、そしてとても中国らしい場面がかいま見える。
そんな違和を茶化したり、可笑しがったりする本もある。だが、違和を違和として興味深くするのは、真摯さなのだ。

表題作「北京の胡同」は、変わりゆく中国への思いが強い。それは、中国の人々の変わりゆく自国への思いを通して語られる。
消えていく胡同。観光地へと変わって存続する、もはや生活空間の胡同でない胡同。
「拆(チャイ)」という文字が一字書かれるだけで取り壊される胡同の家屋。作者は思う。

  胡同の神髄はその構造よりも精神にあった。胡同の胡同らしさは、れんがやタイル
 や材木にあるのではなく、住民が周囲の状況にいかに向き合ってきたかにあるのだ。

そこに暮らす王(ワン)さんや老楊。人々は生きていく。不便や困難を引き受けながら。
実際に、この文章に出てくる南鑼鼓巷を訪れたことがあるが、今はガイドブックにも載っているおしゃれなでレトロな観光地になっている。
この人々の暮らしは三峡ダム建設で移転させられた人々についても書かれていく。上がる水位が家を覆うぎりぎりまで家を整理し続け、
小舟も作っておいて。溢れる水の上にこぎ出していく家族の話として。他にも、
万里の長城を徹底的にフィールドワークするスピンドラーの話。
要人の避暑地で、政治変革の密約が交わされる場所だった北戴河で、監視にあった逸話。
などなど、奇妙といえば奇妙でありながら、実際に生きている人々が持つリアルな日常が描き出されていく。

確かに僕らは国のシステムの中で生きている。だが、だからといって全身が何国人として括られてしまうものではないのだ。
個別の生があり、したたかな日常がある。それへの深い思いが伝わってくるルポルタージュである。

むかし、石川淳が、まだ中国が人民服を着ていた時代に、この人たちは画一的な人民服の中に自身のしたたかさを抱えている
といったようなことを文章で書いていたように記憶しているが、そんなことも思い出した。

僕が最初に中国を旅行したのは1988年。89年の天安門事件の前年だった。
その後93年以降、毎年のように中国を旅行したが、この20年ほどは本当に変貌中国だったように思う。
確かに以前も北京の空気は埃っぽかったが、今、あの空気の汚れた北京の映像を見ると何か、悲しい気分になる。
ただ、便利さと豊かさを求めるのは当然といえば当然のことで、豊かになれば消費に快楽を求めるのも当然のことで。
だが、その先の陥穽が怖いよね。

もちろん中国への旅行は、当時も、今も、魅力的だ。



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