パオと高床

あこがれの移動と定住

安河内律子「自転車は前のめり」(「季刊午前 42号」2010/3/31)

2010-06-23 11:14:36 | 雑誌・詩誌・同人誌から
「季刊午前」という雑誌は、総合文芸誌の形態を持った福岡の同人誌である。今号は小説3編、詩が6編、エッセイ4編が掲載されている。詩6編の中には井本元義さんの32ページにもわたる「ロッシュ村幻影」という作品もある。この作品はランボーを求めて遍歴する者を主人公に、随想から散文詩、行わけ詩へと至っていく大作である。
で、今回、ここで紹介するのは、安河内律子さんの「自転車は前のめり」。

君の自転車が消えた夜
空では双子の星が三日月を追いかけた
ちぎれたチェーンだけを残し
闇の中でしきりに振り返りながら
無理失理連れ去られた君の相棒

月明かりが道も人も白くする夜
暮らしをたすけた相棒を捜し求める君の目の前
キナ臭い群れが走り去る
塗り替えられた自転車は群れの中
ワタシはここだと叫んでいる

足早な双子の星が脹らむ月を追い抜いて
地上を霧が覆う朝
抗えない相棒たちは覚悟を決める
乗り手の体は霧に溶け
自転車だけが突き進むのは血煙の中
          安河内律子「自転車は前のめり」(全編)

寓意性を持った詩である。その寓意が、寓話の形を持って語りとして成立している。その語りの表れのひとつが、記述されている時間の経過なのかもしれない。一連「自転車が消えた夜」「双子の星が三日月を追いかけた」で時間が描かれる。それが第二連では「月明かり」が「白くする夜」となり、その間の時の流れを書きとめる。そして、三連の「双子の星」が「脹らむ月を追い抜いて」でさらにまた、時間が経ったことを読み手に告げて、「霧が覆う朝」へと至る。そう、これは寓話あるいは童話や昔話での時刻告げの手法である。語り手が聞き手に「それはそれは、遠い昔のことだった」と語るような口調で、「星が三日月を追いかけた夜じゃった」と語っているようなのだ。

そして、寓意は一点の事象、物事にこだわっていく。そうすることで、その事象、物事が持つ意味の多様性が導かれるかのように。それが、ここでは自転車である。消えた自転車、塗り替えられた自転車、そして覚悟を決めた突き進む自転車。しかも、それは「相棒」であったものなのだ。読み手は、ここに何を読み込んでもいいのであろう。
例えば、ボクはここに二つのものを読みとった。ひとつは平和の観念である。平和の象徴の鳩は、ここでは自転車になっている。様々な紛争の正当性を主張するものとして連れ去られてしまった平和という観念を読みとった。
もうひとつは、自転車に象徴されるテクノロジー。これもテクノロジー自体が人の手を離れ、それとして人を逆に攻撃してくる脅威をもつものとして考えられるのではないかと思ったのだ。
これらの連想は、最終行の「血煙の中」から発しているのかもしれない。この「血煙」という言葉に作者は、ある異物感を込めているのかもしれない。あるいは、ここに無意識の介入があるのか。

いずれにしても、こてこてに意味づけして読むと、作者から、「読者は前のめり」といって笑われそうな気もするが。そう、寓意は寓意としてあって、意味づけの枠の中に収まったら、寓意の想像力は失われるのかもしれないのだ。示されるものは何なのか、あれこれ考える楽しみを提供しながらも、そのままの話として成立している一編ではないだろうか。
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