18年2月に98歳で亡くなった俳人、金子兜太さんの生誕百年になる19年9月23日、少年期を過ごした秩父の皆野町で「金子兜太百年祭」が、町の文化会館ホールで開かれた。
同時に、医師だった父親の元春さんが開業した医院「壺春堂=こしゅんどう」で、兜太さんの記念館になる「壺春堂記念館」が初めてお披露目された。兜太さんの実家で、皆野小から旧制熊谷中までここで過ごした。
元春さんも、俳号「伊昔紅=いせきこう)を持つ俳人で、ここで句会を開いていた。伊昔紅は皆野町の代名詞になっている「秩父音頭」を周りの協力を得て、卑猥なものから全国に通用する民謡に創り変えた。
木造2階建てのこの記念館は、同じ敷地内で医院を継いだ兜太さんのおいでの桃刀=ももと=さんやゆかりの人たちの「兜太・産土=うぶすな=の会」が改修・保存・寄付を呼びかけ、屋根や外壁などの修復が進行中。カフェなども年内にオープンする予定で、会では記念館を「兜太ファンの聖地」にするとともに、国の登録有形文化財にする手続きを進めている(毎日新聞)。
午後に開かれた百年祭には、全国から集まった兜太ファンなどホールの定数満席の約600人が集まった。舞台の両脇には、この祭りには出席できなかった瀬戸内寂聴さんの大きな花束が置かれ、俳人・宇多喜代子さんはぎりぎりで大阪から新幹線でかけつけた。
ドキュメンタリービデオ「天地悠悠 兜太・俳句の一本道」(74分)が上映された後、俳人・黒田杏子さんの司会で、俳句誌「兜太TOTA」、兜太さんの「海程」同人などの俳句関係者ら13人によるリレートークがあり、興味深いエピソードが次々に披露された。
この映画は、兜太さんが最後を迎えるまでのあしかけ7年を兜太俳句を軸に映像に収めたもので、監督は,NHKのディレクター・プロデューサーの河邑厚徳=かわむら・あつのり=氏。
ガンや認知症をわずらった話もあり、最後の言葉はファンにとって必見のビデオになるだろう。
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