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12年10月中旬、歩き仲間と一緒に秩父札所の1番から5番を訪ねた。いずれも荒川の支流の定峰川や横瀬川の近くにあるお寺である。
四国巡礼には順番どおり回る「順うち」、逆から回る「逆うち」という言葉があるらしい。一番から順に訪ねたからといって、殊勝に「順うち」を始めたわけではない。この五つの寺がまとまっていて回りやすいだけのことだ。
「乱れうち」という言葉もあるそうで、何度目かになる秩父札所めぐりは、この言葉どおり、順番を選ばない。
西武鉄道の御花畑駅からバスで1番の四萬部(しまぶ)寺へ。古くから親しまれている高篠鉱泉郷の一角にある。本堂の右手の施食殿(せじきでん)では、毎年8月24日施餓鬼会(せがきえ)が行われる。
曹洞宗なので「餓鬼」の字は使わず、施食会(せじきえ)と呼ぶ。古い歴史を持つ行事で関東三大施餓鬼の一つに数えられている。
2番の真福寺へは長い坂道を登る。息を切らして上り詰めると、無住の寺だった。
秩父札所は33だったのに、後にこの寺を加え34にした由緒ある寺である。この寺を加えたため、西国33か所、坂東33か所と合わせて「日本百観音」になった。
九十九(九重苦)より百の方が良いということだろうか。
33とは気になる数字だった。観音様が33の姿に変化して、衆生を救うという意味だとのこと。古代インドでは3は「多数」を意味し、それを重ねた33は無限・無数・無辺にも通ずるという。観音様のご慈愛は無限にあるということだろう。
5つの寺のうち最も興味を引かれたのは、4番目の金昌寺だった。
山門には木造りでは秩父札所の中で最大の仁王がにらんでいて、左右の柱に大わらじもかかっている。ここの仁王はその健脚ぶりで信仰されてきたからだという。
全国から寄進された1300体を超す石仏があるので「石仏の寺」として知られる。有名なのは「酒呑み地蔵」で、右手に徳利を持ち、左手に飲み干した大盃を頭に伏せている。 (写真)
実にユーモラスで楽しそうな姿なので、酒呑み礼賛の地蔵かと思いきや、その反対で、お酒の上で失敗したこの地の名主が、「もう酒は呑みません」と代官の前で誓ったのに由来するという。「禁酒宣言地蔵」なのである。この地蔵に禁酒を誓う人もいるとか。
本堂の前の慈母観音(子育て観音)も有名だ。母親が子どもに乳を与えている姿で、このやさしい慈母の像は、女性ばかりではなく男性の心にも迫るものがある。
やっと授かった妻と子を相次いで失った人が、浮世絵師に生前の母子の姿を下書きさせたと伝えられる。この時代、母が胸をはだけて授乳する像は珍しい。
寺に隣接する荒船家の墓所で、すっかり忘れていた埼玉出身の有名代議士の立派な墓と銅像に出会った。
荒船清十郎氏。運輸大臣当時、自分の選挙区の高崎線深谷駅に急行を停車させ、国会で追及されて大臣辞任に追い込まれた人。
停車を了承した当時の国鉄総裁石田禮助氏が、国会で「武士の情け」と答弁したことは今でも語り種(ぐさ)になっている。
こんな出会いもあるので秩父札所めぐりは止められない。
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