埼玉県の目ぼしい市や町は、昔、街道の宿場だった所がほとんどだ。
埼玉県で江戸時代の街道と言えば、中山道がまず思い浮かぶが、江戸と徳川家康を祀る日光東照宮を結ぶ日光街道も忘れられない。
県東北部の杉戸町も例に漏れず、日光街道の宿場町の一つで、今でも旧日光街道が町の中心部を貫いている。
1843(天保14)年には、本陣、脇本陣はもちろん、旅籠屋が40、家数が365戸、1663人が住んでいたという記録がある。
西行法師も、奥州平泉の藤原氏を訪ねる途中で、病に倒れ、この町の下高野の小庵で手厚い看護を受けたことがあり、「西行法師見返りの松」が残っている。
江戸幕府が杉戸を日光街道5番目の宿場に定めたのは、1616(元和2)年。日本橋から日光へ向かう途中21ある宿場のうち、日本橋から数えて5番目に当たる。
日光街道は、日本橋から宇都宮まで「奥州街道」との共用区間だったため、東北諸大名の参勤交代にも利用されたほか、日光社参の道でもあった。
県東部で日光街道沿いの宿場は、草加、越谷、粕壁(春日部)、杉戸、幸手の5か所。ここは、江戸時代に京都の朝廷から日光東照宮に毎年、「幣帛(へいはく。ぬさのこと。紙、麻などを垂らし、神前に供えるもの)」を奉納するために参向した勅使(例幣使)の一行が通る街道だった。
例幣使の往路は、中山道、例幣使街道、帰路は日光街道、江戸、東海道を利用した。例幣使街道は、中山道の倉賀野(群馬県高崎市)を起点として、壬生通り(日光西街道)の楡木(栃木県鹿沼市)を経て、日光に向かう街道である。
今年16年がちょうど400年に当たり、人口約4万6千人、町としては県内最高の人口を持つ町では10月30日、「杉戸町開宿400年 宿場まつり」を開いた。
見どころは時代行列で、先頭を切ったのは、例幣使の行列。杉戸町宣伝大使のお笑いタレント「虻ちゃん」こと虻川美穂子さん(杉戸町出身)が台の上で愛嬌をふるまいた。(写真)
この行列は、過去、現在、未来の三つのグループに分かれ、現在、未来グループはそれぞれのいでたちで途中から加わり、総勢約400人。行列のフィナーレでは400個の風船を上げて気勢を挙げた。
街道沿いには、昔の高札場が復元されたほか、いくつかのステージ、うまいもの市、農産物を売るアグリマルシェ、観菊会なども開かれた。杉戸町史上最大のイベントとあって、約3万5千の人出があったという。
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