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自転車のルーツ 本庄市の「陸船車」

2013年10月14日 18時38分19秒 | スポーツ・自転車・ウォーキング

「自転車のルーツは本庄市にある」という話は、何度も読んでいたので、一度実物を見てみたいものだと思っていた。

本庄市立歴史民俗資料館に足を運んでみても、設計図だけで、昔展示していたという縮尺模型にもお目にかかれなかった。

こんな折り、さいたま市大宮区の県立歴史と民俗の博物館で、13年10月から1か月余、「埼玉じてんしゃ物語」という特集展示があり、「世界最古の自転車」といわれる「陸船車」の実物大模型が展示されているというので、さっそく見に出かけた。

この実物模型は、本庄市のまちづくり活動を進めているグループ「本庄まちNET」が11年11月に復元したものだ。

第一印象は、「陸船車」の名のとおり、自転車というより小さな船、小型ボートといった感じだ。車は二つではなく四つある。

サドルらしいものもなく、小さな柱が二本、歯車をかみ合わせた踏み木の前に立っているがどうして運転したのか。ハンドルらしきものもないので、どうして方向変換したのだろう、とまず思う。金属はどこにもなく、全部木製だ。

この「陸船車」は、1729(享保14)年以前に、現在の本庄市北堀で代々組頭を務めていた庄田門弥が発明した。後世「からくり門弥」と呼ばれたというから、木工製品つくりに長けた人だったのだろう。

当時の8代将軍吉宗も「千里車」と呼ばれたこの車に興味を持ち、献上させたという。

08年にこの「陸船車」に関する論文を書いて、脚光を浴びさせたのは、本庄市立資料館の館長を努めていた増田一裕氏である。

この論文は、市の文化財保護課で入手できる。読んでみると、「自転車とは何か」、つまり「自転車の定義」という難問に突き当たる。

氏は、自転車は「足を完全に地面から離したまま、人力を車輪に伝達して走行できる」ことが前提なので、「陸船車」はその定義に該当、自転車の範疇で理解することが可能だとしている。

広辞苑は別な定義で、自転車は、「乗った人がペダルを踏み、車輪を回転して走らせる車」としている。

残念ながらこの発明は、現代の自転車に至る系列にはならず、技術が断絶していて、興行用のからくり(製品)に変化しているので、氏は、厳密に言えば

門弥式陸船車は、「機能上、世界最古の自転車だ」という結論に達している。

この論文では、現代につながる世界最古の自転車は、フランスのピエール・ミショーが1861年以降に考案・制作、量産化した「ミショー型」だとしている。

前後二輪で、方向転換のハンドルが改善され、動力伝達のためのクランクペダル、ブレーキ装置がついている。「両足が完全に地上から離れたまま動かせる構造」になっているのはもちろんだ。

「陸船車」とは何の関係もないが、ざっと130年も後のことである。

「陸船車」」は復元後、実際に走らせて見たところ、座って小柱につかまり、踏み木を交互に踏んで、前輪駆動で走らせたと分かった。7歳の女の子でも動かせたという。機能だけでなく、見た目も自転車をこいでいるよう。

「陸船車」に触発されて、享保年間これを改造した“自転車”が二種類造られた。一つは「竹田からくり(芝居)」の興行用で、もう一つは彦根藩士平石久平次の三輪車。久平次のはペダル、ハンドル状の機構を持っていた。

なぜこのような「陸船車」が先導した、ヨーロッパに先立つ日本の技術が継承されなかったのか。

当時の日本の道路の路面状態の悪さに加え、1721年に幕府が発明を禁じ、藩の新技術を押さえ込む「新規御法度令」を出していたことを、理由に挙げる人もいる。


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