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塙保己一 新墓所 本庄市

2010年05月17日 15時19分11秒 | 偉人② 塙保己一 荻野吟子 本多静六・・・ 
塙保己一 新墓所 本庄市

埼玉新聞によると、塙保己一(1746~1821)の新しい墓所が、没後190年を記念して、命日のさる12年9月12日、出身の本庄市児玉町保木野に完成した。

遺徳顕彰会(会長・吉田信解本庄市長)が取り組んでいたもので、旧墓所から約200m東で、生家に近くなり、周辺は「塙保己一公園」として整備されようとしている。

新墓所は、旧墓所の台石などが老朽化し、脇のカシの木が墓碑を圧迫するようになったので、1921(大正10)年に建立された「没後百年祭記念碑」の隣に移された。今回同時に修復された百年祭記念碑は、渋沢栄一が揮毫している。

文政4年76歳で死去した保己一の墓所は最初、東京・四谷の安楽寺にあった。1897(明治30)年廃寺になったので、新宿区の愛染院に改葬された。その際、親族が分骨を受け、祖先の墓に並べて碑を建立した。

旧墓所は、1911(明治44)年、当時の児玉町教育会が没後90年祭を開いた祭、移転した。

新墓所周辺の新公園には、保己一が7歳で肝臓病で失明する前に見たホオズキの赤やユズの黄色を覚えていたという話にちなんで、ホオズキやユズも植えられることになっている。

塙保己一記念館は、旧児玉町八幡山の雉岡城址に1967(昭和42)年に建てられている。

新墓所は、皆が訪れやすい場所にあるので、生家、記念館を結ぶ塙保己一ルートとして、本庄市の新名所になりそうだ。

川越市にある県立の視覚障害児の特別支援学校には「塙保己一学園」の名前がついている。09年、「県立盲学校」から改名された。全国で偉人の名がついた特別支援学校はここだけだ。

幼稚部、小学部、中学部、高等部普通科、さらに高等部を卒業した生徒が進学する専攻科では、指圧、はり、マッサージなどの国家資格をめざす教育も行っている。

特別支援学校の中では県内最古。通学範囲は全県で、寄宿舎も完備、約100人が学んでいる。

卒業生が作詞した校歌には「刻む歩みに保己一のまこと心を受けつぎて・・・」とある。


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