ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

浦和よさこい

2012年09月13日 19時01分27秒 | 祭・催し
浦和よさこい

徳島市の阿波踊りに対抗して高知市で始まったよさこいは、全国的な広がりを見せている。派手で特異な衣装を着こみ、大きな旗を打ち振り、民謡的な踊りとは違うダイナミックな動きを見せる集団の踊り、よさこいは主に若者に支持されて、伝統的な祭りにも進出してきた。

浦和おどりとみこしパレードをメーンとする浦和まつりは、10年で30回を迎えた。この二つは旧浦和市の目抜き通りの旧中山道で催されるのに対し、団地で知られた南浦和の駅の東西の通りを会場にして、浦和よさこいが第7回目を迎えた。

浦和おどりに1日付き合ったのだから、よさこいも見ておこうと朝から南浦和駅前に出かけた。浦和おどりは7月18日の日曜日、みこしパレードとよさこいは1週間後の25日。よさこいは朝から始まる。毎週、朝からまつり見物だ。

25日は、朝からの猛暑続きで、午前中から南浦和図書館の入口には、「光化学スモッグ発令中」の看板が立っていた。朝のニュースや新聞では、「埼玉県では熱中症で全国最多の死者が出た」というニュースが流れているのに、お祭り好きはいるもので、歩道の箱に無造作に積んであるうちわをせわしなく使いながら多くの人が詰めかけた。

小さな子供が多い埼玉市では小学校が多い。浦和おどり同様、まず小学校の金管パレード。最後尾に白い巨大なホルンのような楽器を持つ小学校もある。小学生では一人で担げないので、先生と二人がかりだ。先生が後ろを支え、吹くのは小学生だ。

浦和おどりの時も、「何という楽器だろう」と気になっていたので、先生に聞いてみたら、「スーザフォン」と言い、「スーザはいろんな行進曲をつくった米国人です」とのこと。40万円もするとか。

パレードを見ているうちに、よさこい連が到着する。浦和おどりと違って、厚手の立派な衣装なので、踊り手に「暑いでしょうね」と同情の声をかける半ズボンで軽装の見物人もいる。

若い人ばかりかと思っていたら、中年のおじさんやおばさんも混じっており、おばさんたちが主のグループもあった。小さな子供も後ろからついて行く。お母さんに連れられて参加しているのだろう。

浦和おどりが単調な所作の繰り返しなのに対し、よさこいは振付が自由で大胆なところが魅力なのだろう。浦和おどりは、埼玉市民中心だが、よさこいには東京の池袋や中目黒、県内では坂戸や所沢、越谷、お隣の朝霞、県北の熊谷と外来組の方が多そうだ。

主催者によると、昨年の35が7チーム多い42チーム(約1700人)に増えた。浦和おどりの連がちょっと減ったと話していたのと対照的だった。東口の会場が終わると、西口の会場に移動(その逆も)、夕方まで踊りに踊った。

「よさこい」はもともと「夜さ来い」が語源だという。それを白昼に猛暑の中、厚い衣装で楽しそうに踊りまくる人々を見て、老人としては羨望の念を禁じえなかった。


浦和おどり

2012年09月13日 11時49分46秒 | 祭・催し
浦和おどり

♪ハァ 花のつぼみに 心もなごむ
 春は荒川 田島ヶ原に
 咲いてやさしい さくら草

「浦和おどり」を都はるみが歌っていること(大川栄策も)を知ってから、浦和踊りにいっそう興味がわいてきた。

このような踊りは生まれてやったこともないのに、よく通っている岸町公民館で、在留外国人の日本語学習の手伝いをするボランティア・グループ「くすのき」が、浦和踊りに先駆けて、お師匠さんを呼んで生徒におどりを教えると言うので、勇を鼓して参加してみた。

習い始めてはみたものの、いっこうに上達しない24式太極拳と違って、動きははるかに少ないし、それを何度も繰り返すだけ。生まれつき運動神経にはからきし自信がなくても、練習すればなんとかやれるのではないかとの感触を得た。

梅雨が明けたばかりの10年7月18日、旧中山道の旧浦和市の目抜き通りで第34回が開かれるというので真っ昼間から見物に出かけた。日差しは早くも真夏並みだが、風があるのが救いだった。

皮切りは、小学校の金管バンドによる音楽パレード。浦和にはこんなに小学校が多いのかと思うほど、次々に行進してくる。神田小学校と東京並みの校名や、なんと読むのかなと首をひねる道祖土(さいど)小学校と眺めているだけで楽しい。

バトンを持ったリーダーはたいてい女子。高校生並みの背の高さだ。バンドのメンバーもなぜか女子が多い。みんなおそろいの帽子、制服でカッコいい。どのドラムにも「YAMAHA」の文字があるので、まるで「YAMAHA」の宣伝パレードのよう。

バンドの前進に合わせて、歩道の動きもあわただしい。お母さんたちがわが子の晴れ姿を撮ろうと、小型のビデオカメラを頭上にかざして移動しているからだ。

音楽の授業もピアノじゃなくオルガン。小沢昭一の歌にあるとおり「ハーモニカが欲しかったんだよ」の時代に育った目からみれば、「日本もお金持ちになったもんだ」という感慨が湧いてくる。

おどりは午後4時から始まった。車椅子や、児童福祉施設のグループもある。一緒に踊りの基礎を習った外国人の学生たちも「国際交流市民の会連」の中でお師匠さんとともに上手に踊っていた。

「見沼通船舟歌保存会」の連もある。「コミカルダンスの仲間達連」の楽しい踊りもあった。驚いたのは、私も通っているシニアユニバーシティの北浦和と東浦和校の校友会連が背中に「祭」のそろいの法被を着て大挙参加していたことだ。

「流」や「会」が下に付く踊りのプロの連は、衣装はもちろん、手さばき、足さばきもさすがに見事である。一回だけ習っただけなのに早くも評論家気取りだ。

最後は、常連の伊勢丹の山車とコルソ連。コルソ連の山車に載せた怪獣は、白い煙を吐いて観客を喜ばせた。主催の「さいたま観光コンベンションビューロー」によると、踊ったのはざっと2500人。清水勇人市長も、席を立って通り際で手拍子をとる姿も見られた。

夜8時近くまで、踊りも浦和見沼太鼓の音も撥さばきも十分堪能させてもらった。来年は、見物だけでなく踊ってみようかなという気にさせる地元の祭りだった。