ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

浦和おどりと都はるみ

2012年09月14日 06時40分36秒 | 祭・催し
浦和おどりと都はるみ

美空ひばりなき後、「一番の演歌歌手は?」と聞かれたら、ためらいも恥ずかしさもなく都はるみと答える。

好奇心だけは人一倍旺盛なので、夏の浦和おどりには毎年見物に出かける。いつも気になっていたのだが、歌詞も曲も歌もなかなかよく出来ていて、一度聞けば、覚えてしまうほどだ。

どこかで聞いた声だと、潜在意識下で思ってはいたが、歩き仲間の女性が「あの歌は、都はるみのよ」と教えてくれた。「えっ、ほんと」と、いつもの図書館に駆け込んだ。

浦和市史や浦和おどりの資料をめくってみると、浦和おどりの歌は、昭和51(1976)年、昭和を西暦に直すには25を足せばいいのだと図書館のレフェレンスの担当者に教わった。10月1日に浦和市観光協会が制定、都はるみと大川栄策が、コロムビア合唱団とコロムビア・オーケストラをバックに歌っている。

♪ ハァ 花のつぼみに 心もなごむ 春は荒川 田島ヶ原に 咲いてやさしい さくら草 ♪

で始まり、5番まで。荒川沿いの田島ヶ原には野生のさくら草の自生地があり、さくら草は浦和の花になっていた。現在はさいたま市の花だ。

作曲は故市川昭介氏。はるみを国民歌手にした「涙の連絡船」「好きになった人」「大阪しぐれ」、大川栄策の「さざんかの宿」も氏の作曲。三人そろい踏みというわけで受けないはずがない。

歌詞は市民から公募、216編の応募の中から海老川充江さんのが選ばれた。当時の市長、中川健吉氏は浦和の祭りを推進し、「お祭り市長」と称された人だが、その遺産である。