毎年、ゴールデンウィークにJR 大糸線沿いで『
塩の道祭り
』が開催されています。
5月3日(日)小谷(おたり)村、
5月4日(月)白馬村、
5月5日(火)大町市と千国街道を3コースに分け、塩や海産物を運んだ当時の風情たっぷりに、ボッカや
牛方などに扮した村人の方々と共に
歩いてきました。
平成25年(2013)に白馬村(佐野坂から白馬まで)のコースに参加し、今回2回目の参加です。
2回参加して感じた事は、大きな
「塩の道祭り」
開催では共通しているようですが、3日間にわたっての実施で小谷村、白馬村、大町市の各々の開催内容に独自の特徴を付けている様に感じました。
来年は大町市に参加してみたいと思っています。
3日間参加しないと全体の良さが分からないかな
と感じたのです。
当然、村興しを念頭に入れてのお祭りでしょうが、郷土芸能披露で村の方々の
真剣な
取り組みが見てるものにガンガン伝わり、勉強させて頂いた感じがありました。
郷土芸能開始の挨拶には小谷地震での復興が進みつつあるお礼や小谷村の人口が3千人の所、祭りの開催で4千人と言う沢山の
方々
が来て下さった事へのお礼の言葉がありました。
ゴールデンウィーク
であり、松本から糸魚川に抜ける国道148号線は
大
渋
滞
、久し振りに以前通った山間
部の道に入りビックリ。 地震の影響を目の当たりにしたのです。 それは道路の片側通行や寸断による通行止め
、家屋の半壊状態
、屋根しか残っていないのです。
地元の方の話では、幹線道路付近は良くなりましたが、一つ裏に入ると通行止めや壊れた家屋が空家状態となっているとの事でした。
田舎に
災害
が発生すると益々の過疎化が進んでしまいます。
話は祭りに戻ります。 栂池高原ゴンドラリフト駐車場に7時20分着。 直ぐに歩く
準備を済ませ、9km先のスタート地点である下里瀬 (くだりせ)へ行く無料シャトルバス
に乗り込んだ。8時到着。 受付を済ませ、盛り上がるスタート会場内を
覗いた。
下里瀬基幹センターの舞台では景気良い小谷太鼓の演奏が響き渡っていた。 お弁当、お蕎麦、採り立て山菜天ぷらの揚げ立てが用意され、ご馳走になった。
コース予定には9時10分出発となっていたが、既に歩き始めている方もいて自分は写真を撮りながらノンビリ歩こうと思っていたので8時20分に出発した。 この辺は白馬村とは違っていた。
白馬は民族衣装の代官、武士、商人、歩荷さん、飛脚
などが先頭を歩き、その後を参加者が続いた。
糸魚川から松本城下まで約三十里(約120km)を結び、信州側では「糸魚川街道」、越後側では「松本街道」と呼ばれた千国(ちくに)街道
は、またの名を
“塩の道”
と呼ばれていました。
松本藩では他からの塩の移入を禁止し“北塩”といって糸魚川から千国街道経由のみ許可したため、日本海からは塩をはじめ海産物、信州からは麻やたばこを積んだ牛馬や歩荷と呼ばれる人たちが盛んに行き来したとの事です。
この道がまさに『塩の道』と呼ばれるゆえんだそうです。
それは華やかな大名行列などの往来もない生活物資運搬のための経済路線、いわば汗
のにじんだ庶民の道として明治の時代まで続いたようです。
戦国時代、上杉 謙信
がこの道を経て、仇敵
「武田 信玄」
に塩を贈ったという“義塩”の有名な故事があります。
それは敵対した今川・北条氏は武田への塩の輸出を禁止した。「塩どめ」である。
これを聞いた謙信は
憤り、「信玄と争うのは武力であって塩ではない
」と、自領から従来通り信州への塩を輸送する許可を出したのである。
そしてこの道に再び
塩の荷
が通った。
歴史を紐解くと興味深い話が沢山ありますね。もっと勉強しておけば良かったと、後悔しています。
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