小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

地球の今,今後

2011-10-27 23:41:25 | メモ
 天声人語 《朝日;10月26日》

▼海は広くも大きくもない,という一文を,作家の椎名誠さんが7月の小紙に寄せていた。
椎名さんは『地球がもし100cmの球だったら』という絵本を紹介しつつ,この惑星の有限性を述べている。
直径1メートルに縮尺すれば大気の層はわずか1ミリしかないのである,と。
▼すべての水はビール大瓶1本分。海水を除いて人が飲める水はスプーン1杯の量しかない・・・・など,目を開かされた例えをふと思い出した。
国連によれば,この31日に世界の人口が70億人になるそうだ。
地球が相対的にどんどん小さくなっている。
▼19世紀には100年かけて10億人増えた。推移のグラフは20世紀になって跳ね上がり,いまは世界で1分ごとに約140人増えているそうだ。
2050年までに93億人と聞けば,自分も一員ながら地球は大丈夫かと心配になる。

▼海と同様,大地も無辺ではない。史上,下り坂の文明は,人口増加や収奪農業による土壌の劣化,食糧不足による争いといった「衰退のらせん」を転げ落ちたのだという。
同じ轍を人類全体が踏まないよう知恵と策がいる。

▼漠とした不安を問う詩が茨木のり子さんにある。
“人類は もうどうしようもない老いぼれでしょうか
 それとも
 まだとびきりの若さでしょうか
 誰にも
 答えられそうにない
 問い”

▼海も大地も,そのおっぱいをしゃぶりつつ痛めつけていては先は暗い。
地球は過去からの授かりもの。
そして未来からの預かりもの。
消尽と破壊を戒めて,「母子」ともに若くありたい。

 学生時代、約50年前は「世界人口は35億人」と記憶していたように思う。
都会では大量の食料が廃棄物として扱われ,一方で飢餓のためにいたいけない子どもが亡くなっている。
韓国は,時刻の農業保護のために広い農地をアフリカに求めている。
都会には若者があふれ,島嶼部や山間僻地には老人と獣が置き去りにされている。
こうしたアンバランス炉,どのように修復するのかが,地球規模での課題だ。