アカルイミライ 通常版メディアファクトリーこのアイテムの詳細を見る |
2002日本
監督・脚本:黒沢清
音楽:パシフィック231
出演:オダギリジョー(仁村)浅野忠信(有田守)藤竜也(有田真一郎)笹野高史 (藤原)
これもまた面白かった。と節操なくどれもこれも面白がっている最近のワタシですが。
たまたま前の日にみた「花とアリス」の女の子ワールドと鋭く対置されるように、「アカルイミライ」では、とことんまで閉塞し閉塞し閉塞しきった果ての男の子ワールドなのだ。偶然ではあるけれどこの2作品の振幅の大きさをフルレンジで内包するのが今、21世紀の初めの日本なのだと実感する。
それでも「アカルイミライ」は観る人を選ぶのかもしれない。
友人ともいえない関係にあった男から託されたクラゲが、真水に慣らされ、地下水脈に逃げ出して、繁殖し河にあふれ、海を目指して移動する?
この暗喩もロマンも拒否したシチュエーションに理屈抜きでやられてしまう人であるなら、不法投棄の粗大ゴミを拾い集めて売れる当てもない再生品をつくる仕事をする人間の現実にも同じくやられてしまうだろう。
説明抜きで配置される毒に侵される人こそがこの映画を理解するだろう。
で、そういう人は日本にはいっぱいいそうに思う。
そういう人が映画を観るかどうかはわからないけれども。
かつ、そういうひとがいっぱいでも多数派かどうかはわからないけれども。
***
人物が立ち動く東京の景色をよく選んでいると思う。
風光明媚な都市の超外面はあからさまに避けられ、
さりとて人間の暗部ともいえる猥雑な景色を選ぶでもない。
どこにでもあるけれど理由なくいたたまれなくなるような、人を拒絶するような場所をうまく選んで撮られている。
棄景。
うすよごれた河川のカミソリ堤防、電線のはり巡らされた電柱のある家並み。方形でない敷地に立つ工場、ゴミだらけの河川敷、雨の降るくらいオープンカフェ・・・
主人たちの住む家からして、そこは住処らしさを欠いている。その部屋に人がいる風景に違和感を覚えるほど。
「叫」でもそうだったが、黒沢清というひとは、棄景のエネルギー、というか、むしろ正負のいずれにも力を感じない無の風景を撮る才能があるだろう。
この映画は無の風景の恐ろしさで成り立っている。
そのなかでぎょっとするほど異質なのは、むしろ「普通」の風景。
藤原の家。普通の家庭の風景を振り返るショットの気持ち悪さ。あるいは妹の会社。ありきたりなオフィスの風景のあまりの違和感。とてもこんな「普通」の景色では生きていけない。そんな主人公のぎりぎり感を、風景の対置で観るものに肉感させることに、この映画はおそろしくも成功してしまっている。
あ~こわ。
あそうか、映画はホラーだ、というのはこういうことなのかもしれない。怖さをあばきだしてしまうこと。それを避けて通るとなにかが違ってしまうこと。
****
主人公が後半の少年たちではなく、オダジョーであり藤竜也であることも絶妙であると思う。少年たちは閉塞の中を被虐的に楽しんでみせる新世代なのかもしれない。彼等を主人公にすればいっぱしのジェネレーションドラマが出来上がるだろう。
それにくらべて主人公たちは、閉塞があるのみで、なにごとにも帰属も参入もできていない。彼等はドラマを紡ぎ出すことができない。物語に回収できない存在が主人公である時点で、この映画にもうひとつのおそろしさが仕込まれているように思える。
黒沢清。おそるべし。
昔「スウィートホーム」を観てちょっと苦手だと思って以来近寄らなかったが、認識を改める時が来てしまったよ。
***
オダジョーも浅野もそんなに好きではないが、この映画ではよかった。
笹野高史は好き。あの顔が。
パシフィック231は蓮○先生のご子息がやっているユニットですね。
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