Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ファミリー: シャロン・テート殺人事件」エド・サンダース

2017-03-14 00:36:44 | book
文庫 ファミリー上: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)
エド サンダース
草思社


文庫 ファミリー下: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)
エド サンダース
草思社


チャールズ・マンソンの「ファミリー」の行状を、
入念な調査に基づき時系列で追った著作の文庫化。

なぜ今文庫化なのかわからないが、もしかすると
先日獄中のマンソンが病状悪化とのニュースが流れたので、それかしら。。

マンソンがまだヒッピー集団のボスになる前の、刑務所入りしていた頃から、
釈放後ヒッピームーブメントのど真ん中で徐々に形成されていく「ファミリー」、
そして無邪気な集団から次第に悪魔的暴力的な思想言動に染まっていく過程を、
ほとんど文学的な解釈抜きで、淡々と時系列で事実列挙していく。

事件や時代に関心のない人には読むのは苦行と思われるほどの
膨大な細部の集積は、
解放的な気運にはち切れんばかりの60年台後半のアメリカ西海岸の
とてつもなく深く救いのない暗黒面をくっきり描き出している。

悪魔崇拝、麻薬、LSD、暴力主義、窃盗、異常な性癖、異常な儀式、
そういう世界にどっぷりはまった人物が、次から次へ
とめどなく現れる。
マンソンだけが異常な犯罪者だったのではない。
マンソンも「彼らのうちのひとり」なのだと痛感せざるをえない。

読んでいて、そういうイカれた連中の話に付き合うのが
ほとほと嫌になる。
いやもう勘弁してくれとw
精神の崇高さを求めることの大切さをひしひしと感じたよ。

もっとも彼ら魑魅魍魎たちも崇高さを人一倍求めていたわけだけど。何が崇高かは人によって驚くほど違うけどな。。。

***

マンソンは基本無教養なのに、耳学問でハッタリかますのに都合のよい事柄をどんどん吸収して、自分の言葉とし、他人に対して飴と鞭を使い分けて人心を搦めとる。

絵に描いたような「カルト教祖力」を持っている。
彼に従う者たちは、どんどん自分で考える力を失い、肥大し錯乱した妄想による様々なルールに進んで参加する。
この心理ゲーム。日本でも例の事件がそっくり同じ道を辿って記憶に新しいわけだけど、なんというか、本当に人間て不完全で恐ろしい。
不完全で恐ろしい性を知ってなんとか自分はそこに陥らない生き方をしようと考える、その契機になるということでは、読んで寒々しい気分になる価値はあるかも。

でも、読む人によっては、これでマンソン英雄視みたいなことになるのかも知れない。
マンソンが、ビートルズの他愛のない戯れ歌に悪魔的な示唆を読み取ったように。

いやー恐ろしい。

***

しかしポランスキーって、なんというか間の悪いところに居合せる人生だよな。

彼はパリ生まれなんだけど、一家はあろうことかナチスがポーランドに侵攻する直前にポーランドに移住してる。

ハリウッドに鳴り物入りで招かれて「ローズマリーの赤ちゃん」ヒットでセレブの仲間入りをして、居を構えたのがこの事件の屋敷だし。

ロバートケネディ暗殺の直前にロバートと会食してたのがポランスキーだし。

そうやって暗いものを呼び込むような資質?が、また彼の映画の作風にあるどこか殺伐とした感触と妙に共鳴するよな。

殺伐とした環境なのに彼自身はなんだかんだ生き延びているところも実に味わい深いじゃないですか。。。

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