顔のない眼 Blu-ray | |
クリエーター情報なし | |
紀伊國屋書店 |
顔のない眼LES YEUX SANS VISAGE
1959フランス/イタリア
監督:ジョルジュ・フランジュ
原作:ジャン・ルドン
脚本:ピエール・ボワロー、トーマス・ナルスジャック、ジャン・ルドン、クロード・ソーテ
撮影:ユージェン・シュフタン
音楽:モーリス・ジャール
出演:ピエール・ブラッスール、アリダ・ヴァリ、エディット・スコブ 他
カラックス『ホーリーモーターズ』で運転手が仮面をつけるのはなぜか?
答えの一つはこの映画だという話なので、早速観てみた。
カラックスのことは置いておいて、この映画、まずは、言葉にし得ない類の魅力、引力のようなものがあり、エンドタイトルの後、なんとも不思議な気持ちにさせられる、と言わなくてはならない。
犬たちを解き放ち、鳩を腕に肩に従えて暗闇へ歩いてゆくクリスティーヌの後ろ姿は、岡田史子の一篇にありそうな孤高の瞬間である。孤高の前に許されるのは沈黙のみではなかろうか。
ということで沈黙するのだが、
この映画の不思議な感覚は、やはりあの仮面にあり、日本人にはわかりやすく能面という例を挙げることができるだろう。
無表情な仮面をつけての演技にもかかわらず、そこには時々の表情が感じられる。白いマスクに像を投影したかのように観る者が内なる想像力を仮面に投影しているのだろうか。表情がないにもかかわらずどこか内面に迫るようななまなましさを感じるのである。
そのなまなましさを発する者としてのクリスティーヌは、絶対の無表情を外面に、醜かったり美しかったりする本来の姿を内面に持つ異形の存在である。外面と内面の融合を期待して弱々しい存在として泣き暮らす彼女は、他者の犠牲を前にして、自らの異形を受け入れることを衝動的に本能的に決意し、異形の者の住処である暗い森に入って行くのである。そこでは獣や鳥が友である。そういう人の変容を焦点として捉えた、もしかしたら期せずして捉えてしまった不思議なサスペンス作品なのである。
と適当なことを言ってみたりするのだった。
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これを観た翌日にクローネンバーグ『ラビッド』を観たのだが、こちらも皮膚移植がモチーフとなっていて、『顔のない眼』DVD収録の解説によれば『顔のない眼』ヒット後に医療をモチーフとしたホラーサスペンスが流行したとのことで、その系譜上にクローネンバーグがあるという見方も出来るなあと。
『顔のない眼』は移植失敗の後の異形への道、『ラビッド』は移植が成功(?)してからの異形の道の話だ。前者にはポエジーがあるけど、後者にはクローネンバーグ初期らしく見も蓋もない(笑、褒め言葉ですよ)。
本作のモーリス・ジャールによる音楽、ワタシはとてもよく知っている音楽なんだけど、なんで知ってるの??
ワタシはなぜこの音楽を細部までよく知っているのでしょうか?
教えてst/STさんww
あ、そうそう、『ホーリーモーターズ』の運転手は本作の主役であるエディット・スコブさんで、本作を観たあとでは、明らかに、これはもう明らかに『ホーリー~』では本作のマスクを意識していると言わざるを得ない。
カラックスはインタビューで、なぜ彼女はマスクをするのかという問いに対して「わからない」と答えているが、これはすっとぼけたか、自分でも忘れてしまっているかということだろう。カラックスも一筋縄ではいかないね。
@自宅DVD
一度移植して仮面をつけていないときの顔も、徹底的に無表情に撮ってましたよね。そこらへんも深いなあ。
サントラについてはたぶんいただいてたんでしょうね。それ以外には考えられないw
ジャールの音楽についてですが、音源が世に出たのは、たぶん「Jarre at Abbey Road」ってなアルバムで“ジョルジュ・フランジュ組曲”として再録音版が最初で、その後、しばらく経ってからフランジュ作品を収録したサントラCDが出ました。
んが(笑)、実は、それらをだいぶ遡る大学時代にレンタルでこの映画を初めて観た際、その日の内に音楽をビデオからカセットに録音したので、それをダビングしてお渡ししていたのでしょう。たぶん他の映画音楽の何かと一緒に入れたのだと思います。
実現しませんでしたが、テーマ曲はバンドでカヴァーしたかったし…。今でもカヴァーしたいぐらい好きな曲です。