イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

ホームは東京

2008年02月14日 21時55分56秒 | Weblog
電車待つ位置をやたらと気にしてるホームで君は東京の人

(解説)仕事で打ち合わせがあるため、東京生まれの人と一緒に田町方面に行った。聞けば、その人が生まれたのも田町。生粋の東京っ子なのだ。東京の人と東京の街を歩いていると、普段は意識しない「よそ者の自分」を感じてしまう。考えて見れば、まだ東京に来て7年。人生というスパンでみれば東京にいなかった時間の方が圧倒的に長いのに、なんだかいつのまにか東京に住んでることが当たり前と思っている自分がいる。でも、実際のところ、いつまでたってもおのぼりさん的な感覚が抜け切っていないのだ。

電車を乗り継いであちこち移動した。ぼくの偏見かもしれないけれど、東京の人は、電車に乗るときホームの位置をやたらと気にする。つまり、降りた駅のホームで、最短距離で移動できるように。東京の人にとっては、どの位置で電車に乗るかがものすごく重大なことなのかもしれない。眉間にしわをよせて、「あっちで待とう」と早足でホームをツカツカと歩いて場所を決めてしまう。ここで待つことが、お互いにとって無条件に幸せなことなんだ、とでもいうかのように、うむをいわさずにホームを突き進む。頭の中では、目的駅のホームにある階段の位置をイメージ化しているのがわかる。で、駅についてぴったりビンゴの位置だったときは「よし」と嬉しそうな顔をするし、位置がずれていた場合は、苦虫を噛み潰したような顔をして、「しまった」という。なかには連れに、「ごめん、乗る位置ちょっと前だった」なんて謝ったりする。

その人は、田町の駅のホームの一番端までわき目も振らずに進んでいった。新宿で降りるときは、ここから乗るのがベストなんだということらしい。果たして、やっぱり新宿で降りたらそこが一番便利な場所だった。その人は満足げだったけど、正直、ぼくはそんなに嬉しくない。人生、道草したり遠回りしたりすることにも、意義があるんじゃないですかね、ってそこまで大げさな話じゃないんだけど。

もちろん、通勤のときは、毎日乗っているから僕も降りる位置を計算して乗ることがある。だけど、個人的にはどこで乗ったって一緒じゃないか、と思っている。待つ駅で歩くのか、降りた駅で歩くのかの違いで、歩いてる距離は変わらないんじゃないかと思うし、乗る位置によって歩く距離が短くなったところで、そんなに嬉しいとも思わない。むしろ、エスカレーターがあっても歩くことをデフォルトにしているくらいで、歩く距離がながければそれだけ足腰の鍛錬になるから得したと思うのだ。

TTTTTTTTTTTTTTTT

まあ、いずれにしても東京の人っていうのは、江戸っ子気質というのか、せっかちというか、合理的と言うか、生まれてからずっと電車にのってあちこち行ってると、ホームの位置のひとつも覚えたくなるのでしょうね。ちなみに、すぐに行列を作るところなんかも、東京だな~と思う。それにひきかえ僕のような田舎者は垢抜けない牧歌的なところがうまく東京のリズムと合わなくてちょっと損してるのかな、などと思ったりする。でもいつのまにか僕も東京暮らしが長くなって、こっちの水にだいぶ馴染んできた。いろんなところに住んだけど、東京は大好きだ。どの土地も大好きだったけど、自分が住む場所、って気が一番するのは東京だ。なにより、地方からたくさん人が集まっているところがいい。ぼくは地方を転々としていたので、よそ者を受け入れてくれる東京の懐の深さが居心地いいのだ。

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2 コメント

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無意識 (CoCo)
2008-02-16 21:18:25
人口密度の低い生活を送っているせいか、都会に出ると、人の少ない方へ、人の少ない方へと自然に体が動きます。

と、と、ところが、ですよ。東京駅から丸の内線に乗って青山一丁目に向かうとき、月1回しか使わないのに「あのベンチとあの柱のあたりのドア」をキープする自分がいる。赤坂見附でそのまま降りて、向かいの銀座線に乗り込み、青山一丁目に着くと、ちょうど改札口の前なのであります。
電車通学だった高校からの習性が今でも顔を出すんですかねぇ。なんの思考も一切介入していないように思うんですけどねぇ。実に不思議だ。
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誰でも (iwashi)
2008-02-17 12:44:03
誰でも電車に乗る位置は無意識に気にしているのかもしれませんね。ぼくも、こんなこと書きつつ、結構きにしてます(笑)。しかし、気まぐれなので、いろいろと位置を変えてしまいます。今度、青山一丁目にいくとき、意識してみます。
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