世界からも注目、秋葉原。

便利になって新登場
iタウンページモバイル」(平成18年6月19日)、絶対使ってね
   ~Nice,Townpage

秋葉原の文化が産業を創る(電気店、ゲームソフト、書店、アニメショップ、パソコンショップ、オーディオ販売、おもちゃ店、インターネットカフェ)。

【新聞記事を見て】平成17年4月23日日経新聞「変身 アキハバラ」
JR秋葉原駅北側、青果市場跡地周辺に今春から2007年春にかけて10棟の大型ビルが続々と完成。混沌とした電気街とは一変した景観になる。「秋葉原ダイビル」「秋葉原UDX」と合せて産学連携拠点「秋葉原クロスフィールド」を形成する。「秋葉原を先端技術のテーマパークに」と街の展望を描き、「秋葉原が技術集積拠点に回帰する契機になる」と。約600店の電気店の大半は苦戦を強いられている。駅東口に日本最大級のヨドバシカメラマルチメディアAKIBA店がオープンし、西口の老舗は熾烈な競争に直面する。新旧2つの街区が刺激を与え合うことは再開発地域に限定された活況ではなく、既存電気街も含めた秋葉原全体の調和的発展の前提条件になる。再開発やつくばエキスプレスの開通が街に人とモノを呼び込み、新しい風景が生まれつつある。

【ちょっと探してみよう。さぁ、iタウンページ検索!】
秋葉原に電気店が集積したのは戦後のことであります。終戦時、秋葉原一体はほとんど焼け野原になっていたが、戦前から店を構えていた電気店が、終戦を待ちかねて、続々と店を再開し、あるいは起業し店を構えて新しい時代を切り開いていきました。秋葉原に電器商が多数集結してきた背景には、廣瀬商会が総合問屋として地方にネットワークを持っており、地方から仕入れに来る小売業/総合卸/二次卸し店で賑わっていたこと、秋葉原は安いという宣伝が行き渡っていたこと、交通の便が良かったことがあげられます。終戦当時、ラジオを組立て、販売すると、これが売れに売れました。娯楽と情報を入手する手段だったことから。国民の多くが組立ラジオを購入しました。
GHQは、戦後の混乱の収束、復興のため社会インフラの充実が必要と考え、主要道路の敷設、拡幅を実現するために昭和24年に露店撤廃令を施行し、露天商の移転を命じました。東京都は国鉄と協力し、露天商に秋葉原駅のガード下に代替地を提供し、昭和24年に高架線直下にラジオストアが開店しました。翌昭和25年から露天商の移動が始まり、組合単位で、ラジオセンターが開店、東京ラジオデパート、ラジオガアデン、秋葉原電波会館が建てられました。こうして、現在のような、中央通りと、JR秋葉原駅電気街口周辺の電気店「秋葉原」が出来上がっていきました。

その電気街も、今では、IT革命によってパソコン関係の店が大半になっています。また、CD/DVDを始めとするゲームやメディア、アニメ関係の雑誌・おもちゃ・委託同人誌の専門店やプライズ系グッズの専門店などを取り扱う専門店など、家電と違う分野の店も人気を集めており、昔とはずいぶん違う雰囲気になり、怪しさと濃さが加速しました。「おたく」の皆さんのあらゆる物欲を満たす、世界最大の拠点となっています。

「iタウンページ(地図から検索)」で秋葉原駅近辺を探索してみましょう。

秋葉原の電器店は、ここ(97件も)

秋葉原のゲームソフト販売店は、ここ

秋葉原の書店、同人誌は、ここ

秋葉原のアニメショップは、ここ

秋葉原のパソコンショップは、ここ(137件)

秋葉原のオーディオショップは、ここ

秋葉原のおもちゃ店は、ここ

秋葉原のインターネットカフェは、ここ

◆ほかにも、お店を探してみてはどうでしょうか。秋葉原の地図は、ここ

これであなたも「アキバ系」。

【後記】
秋葉原の変遷は、世界的な動きで驚くばかりである。文化が産業を作る、新しい都市創造といえる。

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