武蔵野市に、グリーンパーク球場って?



【ちょっと一息】

東京に

グリーンパーク球場

ってあったのご存知でしょうか。れっきとしたプロ野球の試合が開催されていたんですよ。

でも、1951年(昭和26年)の1シーズンだけなんですけど。

東京 武蔵野市のあったんですって。



航空写真の真ん中上にたまご型の球場がありますよね、これです。南に下がると、JR三鷹駅です。

なぜ、これを知ったかというと、武蔵野市が発行している広報誌に載っていたんです。



三鷹駅から球場方面に向かって当時の国鉄の線路が延びているんですよね。当然、今はありません。

それで、この線路の跡地が、今、遊歩道になっているんです。

ちょっと調査隊に出かけた次第です。

戦前から球場のあったところは、中島飛行機武蔵製作所。零戦を製造していたんで、良く空襲にも遭ったそうです。

その中島飛行機武蔵製作所の跡地に、収容人数5万人を誇る本格的球場建設が始まり、1951年、こけら落としだったそうです。そして、その製作所に引き込まれた貨物線を活用して、1941年

武蔵野競技場線

が開業したんです。



今、その球場跡地は、グリーンパークという名を残して、円弧状の外周道路に囲まれたUR住宅や公園に変わっています。



下がバックネット、上がセンター方向です。

現在、バックネットの付近には、

NTT武蔵野研究所

が建っているんですよね。



確かに、この周辺の道路、なんでくねっているんだろうと不思議に思っていました。

それで、JR三鷹駅から、この武蔵野競技場線の跡地を自転車で走ってみました。

JR三鷹駅の西側には操車場があって、写真右側の伏線のあたりから線路が延びていました。



すぐに、堀合公園があって、すぐに

堀合遊歩道

になります。





枕木が残っているわけでもなく、普通の遊歩道です。



進むと、玉川上水にあたって遊歩道はここで途切れてしまいます。でも向こう側にも遊歩道が続いているんです。

川べりには、橋があった名残でしょうか、橋台と鉄棒。



別のところに架かってる橋を渡って、続きを自転車で走りました。

遊歩道の名が、

グリーンパーク遊歩道

に変わってました。







そして武蔵野公園のところで遊歩道は終わり、



駅跡だったところもUR住宅に変わっていました。



ここに、多くのプロ野球ファンが押し寄せてきていたんですよね

突風で砂塵が飛び交ったり、都心から遠かったり、また翌年には、都心で球場が開放されたりして、必要度が少なくなり、結局短命で終わってしまったとのことです

ちょっぴり感慨にふけってみました。でも残念でしたね
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コメント
 
 
 
2,3気付いた点 (松本@GPF)
2014-07-17 13:32:57
「バックネットの付近には、NTT武蔵野研究所」は正確「バックネットから道路を挟んでその北側」です。研究所は球場より1年前に引っ越して来ています。地図を見るとNTTとUR住宅を隔てる道路は当時のままですね。
駅跡だったところは長らく国鉄社宅でしたが現在はマンション(武蔵野ガレリア)と中央公園に隣接した6戸ほどの建売住宅です。
 
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