大阪地検検事正、特捜部長は、前田恒彦検事の証拠隠滅を知っていたといい、最高検は共犯容疑で全員逮捕せよ

2010年09月22日 21時47分16秒 | 政治
◆朝日新聞社会部の板橋洋佳、野上英文の両記者がかっ飛ばした超ど級の特ダネ(9月21日付け朝刊1面トップ、34・35面=社会面)は、まさに国家権力の中核である検察権力を震撼、崩壊させかねない大ヒットであった。天晴れ!今年度の新聞協会賞受賞は、間違いないだろう。
 筆頭部・政治部の耳目を覆いたくなるほどの堕落にも関わらず、社会部記者の新聞記者魂が、健在なのは本当に頼もしい。強大な権力に立ち向かってこそ、新聞記者である。大阪地検検事正、特捜部長らは、前田恒彦主任検事の証拠隠滅を知っていたといい、最高検は共犯容疑で全員逮捕せよと言いたい。朝日新聞社会部には、こういう論陣を張って欲しい。
 検察権力の権威が完全に失墜したいま、私たち国民は、本当は恐ろしい権力の本質を認識して、その執行の抑制について、これまで移譲に厳格に監視し、「基本的人権を守る」ためのしっかりした姿勢と手段を確立しておく必要がある。
 ただ、9月22日のTBSの朝番組「みのもんた朝ズバ」で、みのもんたさんが、コメンテーターとしてスタジオに招いた東京地検元特捜部長の宗像紀夫・中央大法科大学院教授(特捜部長時代にゼネコン汚職事件の捜査を指揮)とやり取りした後、「村木厚子元局長が厚生労働省に復帰したというのは、忸怩たるものがある」と奇妙な発言をしていた。「忸たる」とは、「恥ずかしい思い」という意味だが、まさか、「村木厚子元局長が厚生労働省に復帰」が納得いかないということなのであろうか。それとも、目の前にいる宗像元特捜部長に気を使っての発言だつたのか、はたまた、検察権力が大失態をやらかしたので小沢一郎元代表がもしかしたら助かるかも知れないと思い「悔しさ」をポロリと漏らしたのか。このごろのみのもんたさんは、ちょっと変だ。
◆本当は怖い権力の本質~逮捕されたら最後だ。厚生労働省の村木厚子元局長は、危ういところだった。冤罪を被されたまま、塀の向こうに突き落とされる寸前、一枚のフロッピー・デスクに間一髪のところで救われた。朝日新聞は9月22日付け朝刊「社説」(3面)で「証拠かいざん 司法揺るがす検事の犯罪」と題して「戦前の思想犯を思い起こし、背筋が寒くなる」と書いている。まさにその通りである。
 改めて言うまでもないけれど、権力の本質とは、支配者が被支配者である「民」に対して、有無を言わせず、行使できるものでなくてはならない。それは、犯罪者を捕まえる「逮捕権」であり、土地の恵みの一部を上納させ、それを万民のために配分する目的を持った「徴税権」であった。納税を怠ると逮捕し、強制徴収することができる。権力は、支配者の意志を被支配者に強制的に押し付ける「力」であるので、被支配者である国民の自由を束縛しようとする。そのとき、国民は、生命・身体・財産が脅かされることになる。支配者の権力行使をほしいままにしておくと、権力の乱用を招き、国民は大変な被害を被ることになりかねない。国家権力の行使から国民の自由を守るための盾として制度化されているのが、米国憲法や日本国憲法に明記されている「基本的人権規定」である。
◆しかし、日本国民は、折角、人類史上最も進歩した「基本的人権規定」を内蔵した日本国憲法を持っているにもかかわらず、「冤罪事件」が後を絶たない。
 冤は、<軽冂(けい)と兔>を組み合わせた文字である。兔(うさぎ)が、冂(境界)のうちに捕らえ、逸脱(逃げること)することができない状態を表わしている。無実であるのに犯罪者として扱われ、罪を着せられて刑罰を受けるという意味である。
 国家権力の手にかかると、国民は、袋のネズミどころか、頑丈な柵(牢獄)の兔にされて、恐ろしい目に遭わされてしまう恐れがあることを忘れてはならない。「濡れ衣」を着せられて死刑判決を受け、絞首刑を執行された者は、過去に多数いると見られている。
◆それにしても、このところ、「冤罪事件」が白日の下にさらされて、警察、検察の捜査当局ばかりか、罪刑を確定する裁判所の相次ぐ「失態」に国民から厳しい批判の矢が浴びせられてきた。
 まず、鹿児島県の志布志冤罪事件です。2003年4月の鹿児島県議会議員選挙で当選した県議らが住民11人に191万円を配った疑いで、志布志市に住む15人が県警に逮捕されました。このうち13人が公職選挙法違反罪で鹿児島地方裁判所に起訴された。
 ところが、警部補が取調室で容疑者の男性に「お前をこんな人間に育てた覚えはない ○○(父の名)」「早く正直なじいちゃんになってください ○○(孫の名)」などと書いた紙を、男性の両足首をつかんで「踏み字」を強要したことなどが明らかになったのである。
このため、鹿児島地裁は2007年2月、「強圧的な取り調べによって引き出された被告人たちの自白は信用できない」として、被告人12人全員(1人死亡)に無罪を言い渡した。検察側は控訴をあきらめ、無罪が確定した。警部補は罪に問われて、間もなく退職し、二〇〇八年3月、「取り調べの方法としてまともではなく違法」として有罪判決を受け、刑が確定している。
 次に、富山冤罪罪事件である。2002年1月と三月に、富山県氷見市で女性への暴行事件などが発生しました。富山県警は4月にタクシー運転手の男性を逮捕し、長時間の取り調べを行い、自白を迫ったのでした。
 富山地裁は、男性に懲役3年の実刑判決を言い渡した。2年1か月、富山刑務所に服役し、仮釈放された後の2006年8月、別の男が「自分が氷見市の二つの事件をやった」と自白したことから、冤罪事件と判じ、男性は2007年10月、再審(裁判のやり直し)によりで無罪が確定しています。
 しかし、男性は「顔と名前を公表した富山県警の行きすぎた取り調べは、法律違反である」と訴えている。
 さらに多くの国民に衝撃を与えたのは、足利冤罪事件であった。1990年5月12日、父親が足利市内のパチンコ店でパチンコに熱中している間に、同店駐車場から女児(四歳)が行方不明になり、五月十三日、渡良瀬川の河川敷で遺体が発見された。
 栃木県警捜査本部は、総勢180人余の態勢で捜査をしていたが、1991年12月2日、「女児の下着に付着していた体液のDNA型と、被疑者のDNA型が一致した」として、同市内に住む幼稚園バス運転手・菅家利和さん(当時45歳)を猥褻目的誘拐と殺人の容疑で逮捕した。
 菅家さんは、警察や検察の厳しい取り調べに堪え切れず、犯行を自白。しかし、第1審・宇都宮地裁の公判の途中(第6回公判)から否認に転じ、無罪を主張していた。だが、無期懲役判決を受け、東京高裁(高木俊夫裁判長)は1996年5月9日、控訴棄却。最高裁も2000年7月17日、「DNA型(MCT118)鑑定の証拠能力を認める」との初判断を示し、第1審の無期懲役判決が確定したのである。
 その後、菅家さんは優秀な弁護士に恵まれ、二〇〇二年12月、宇都宮地裁に対し、再審請求を申立てた。だが、同地裁(池本寿美子裁判長)は、二〇〇八年2月13日、これを棄却していた。これに対して、菅家さんは、東京高裁に即時抗告した。
弁護側は、「事件当時、DNA鑑定(正しくはDNA型鑑定)は警察庁科学警察研究所に導入されたばかりであり、信頼性に疑問がある」と主張し、これを受け入れた同高裁はDNA再鑑定を行うことを決定、同鑑定の結果、菅家さん犯人の同一性に疑問が生じたため、2009年6月23日、同高裁(矢村宏裁判長)は原決定を取り消して、再審開始を決定した。DNA鑑定を盲信した結果、招いた冤罪であったが、幼児のシャツが残されていたのが、幸いした。しかし、菅家さんは、千葉刑務所に14年間も、服役させられていた。
 釈放後、記者会見に臨んだ菅家さんは、逮捕されてからの取り調べの状況に対し「刑事達の責めが酷かったです。『お前がやったんだろ、お前は現場に行ってた筈だ』とか『早く吐いて楽になれ』と言われました」と述べており、その他、殴る蹴るの暴行や、頭髪を引っ張られるなど、拷問に等しい暴行を受けていた。菅家さんを取り調べた刑事たちについては「私は刑事たちを許す気になれません」とも述べている。
足利事件とほぼ同時期に起きた事件で、DNA型鑑定により被疑者が逮捕されたのが飯塚事件だった。
 1992年2月20日、福岡県飯塚市の小学校1年生だった女児(当時7歳)が登校中に行方不明になった。その後、同県甘木市(現在の朝倉市)の雑木林で殺害され遺棄されているのが発見された。死因は窒息死だった。同じ「MCT118」という検査法を用いて、DNA型鑑定により、久間三千年が逮捕、起訴され、死刑判決を受けました。死刑囚となった久間は冤罪を主張し、弁護団は再審のための準備をしていた。
しかし、死刑判決確定から2年2か月弱の2008年10月28日に福岡拘置所で久間三千年の死刑が執行された。70歳だった。再審を待たずして死刑が執行されたのである。
死刑執行命令を出したのは、麻生太郎内閣の森英介法相であった。大臣就任後1か月しか経っていなかった。執行時の久間三千年の死刑判決順位は100人中61番目で、先に死刑が確定している死刑囚で再審請求をしていない者も数多くいたにもかかわらず、異例に速い死刑執行であった。
 ところで、戦後の大事件のなかで、「4大死刑冤罪事件」と呼ばれているものがある。死刑判決が確定した死刑囚が、再審裁判を受けて、無罪を勝ち取り、晴れて自由の身になった事件である。
①免田事件=1948年、熊本県人吉市の一家四人が就寝中に襲われ夫婦が即死、娘二人も重傷を負いまし。翌年、免田栄さんが別件で逮捕され、無罪を勝ち取るのに34年を費やした。
②財田川事件=1950年、香川県財田村の闇米ブローカーが惨殺される。同年4月に強盗傷害事件で逮捕された19歳の少年(谷口繁義さん)がこの事件の犯人とされ、無罪獲得まで33年を費やした。
③島田事件=1954年、静岡県島田市の幼稚園から6歳の少女が連れ去られ、のちに遺体で発見。五月に軽度の知的障害と精神病歴のある男性(当時25歳)が窃盗(賽銭泥棒)容疑で別件逮捕され、厳しい拷問を受けて、自白を強要された。死刑判決を受けて服役し34年以上が経った1989年1月に無罪判決が下されている。
④松山事件=1955年10月、宮城県志田郡松山町で農家が全焼し、焼け跡から一家4人の惨殺体が発見されました。斉藤幸夫(当時二十四歳)が十二月に、別件で逮捕、起訴され、死刑判決を受け、死刑囚として28年7か月を獄中で過ごしている。

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
小沢一郎元代表が連休中、八丈島で魚釣りに紛れて米国要人、山口公明党代表、連合幹部らと密会、驚愕な話の内容
◆小沢一郎元代表が連休中の9月20、21両日、八丈島で魚釣りをしているテレビ映像が流れた。単純に魚釣りだけかと思ったら、とは生臭いどうもそうではない、魚の生臭さに混じって、きな臭さが漂っていた。そのきな臭さにブレンドされていたのが、公明党の山口那津男代表の衣服に染み付いた線香の香りだった。何と、山口代表の姿が21日、この八丈島で一部のメディアに目撃、その姿をキャッチされていた。これを単なる偶然と言い切れるであろうか。
 そう疑いながら、あちこちの情報網を繰り寄せたら、小沢一郎元代表の魚釣りがカムフラージュであったことが徐々に判明してきた。もちろん、小沢一郎元代表が釣り船内で何やらゴソゴソしている姿が、テレビカメラにとらえられていたので、魚釣りをしていたのは、紛れもない事実と見てよい。

つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(月額1000円)

こちらも連載中↓
「小沢一郎という男の野望」板垣英憲著 NO.6
四王天延孝陸軍中将の名著「猶太思想及運動」~板垣英憲が解説~No.8

板垣英憲マスコミ事務所

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「小沢一郎という男の野望」1992年初版 板垣英憲著 NO.6 第2章 熾烈! 一龍戦争

2010年09月22日 21時05分44秒 | 小沢一郎「15年戦争」

(イラスト 塚本昇司)

第2章 熾烈! 一龍戦争
「あなたを総裁には推せない」

 ライバル― 。
 政治家の場合、それは単なる競争相手ではない。権力を目前にした人間の競争は、単なる「競争」を超えた血みどろの「闘争」となる。水面下で静かに、しかし熾烈に行われるのが政治家の闘争である。
 小沢一郎のライバルといえば、言わずと知れた橋本龍太郎である。

つづきはこちら⇒「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*定期購読月額1000円
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