全国各地を講演で訪れていると、それぞれの地域で、郷土愛に満ちた人々が多いのに感動させられる。
岩手県水沢市の人々もその例に漏れない。2月23日、岩手県肝肛法人会が水沢サンパレスホテルで開いた経済講演会に招かれて、「源義経の奇襲戦法に学ぶ経営術」という演題で1時間半話した。
平泉から一関、水沢江刺あたりは、源義経にゆかりの地域で、「義経ファン」が多い。とくに江刺は、NHKの撮影現場の一つで、馬を多用する時代劇では、必ず登場する。東北新幹線水沢江刺駅の構内に鎧兜に身を固めた義経のノボリ旗が立て掛けてある。NHKとの関係の深さに誇りを感じている地元の人たちの意気込みが感じられる。
駅から水沢市内に向かう。タクシーのなかから車窓風景を楽しむ。突然の大雪の名残に雪国・東北を実感する。沿道の民家などの塀に貼ってある民主党の小沢一郎副代表のポスターが、行く先々で目に入る。小沢氏の顔とこちらを指した指を、見る者の胸を刺すような大きな写真の両脇の「日本一新」「政治に一本筋を通します」という文字が飾る。「日本一新」は、旧自由党時代からテレビ宣伝でよく知られた「ワッペン」のような言葉で、「政治に一本筋を通します」というワンフレーズは、小沢氏の地元ならではのキャツチフレーズだろう。
さて源義経は、日本の戦史のなかで「奇襲戦法」の元祖のような武将である。決められた「総攻撃の日時」を目指して、「奇兵」を率いて山間、夜陰に紛れて隠密行動、思いがけない断崖絶壁や守備が手薄な敵の背後から一気に電撃的に攻撃して勝敗を決する「奇襲戦法」である。一の谷では、屏風のようにそそり立つ懸崖を駈け降り、屋島では、「この暴風こそ好機!」と船頭を叱咤して波荒い海に向けて断乎!出航し、敵陣背後に急行した。いずれも大きな危険(リスク)を冒しての奇襲であった。
そして毛利元就の「厳島の合戦」、織田信長の「桶狭間の合戦」「大石内蔵助ら47士の吉良邸討ち入り」「山本五十六のパールハーバー攻撃」と続く奇襲は、日本のお家芸と言われるようになった。
この伝統は、経営にも伝えられているとみることができる。「松下電器産業の中村邦夫社長の「世界同時垂直立ち上げ」が、奇襲的経営の実例の一つであるし、またライブドアの堀江貴文社長の「時間外取引」による「ニッポン放送株」の買い占めも、やはり電撃的な奇襲攻撃だった。
ここまで話すと義経の話が、現代にもつながってくる。遊牧民族の一種の「侵略的な経営手法」により、農耕民族的な日本の企業の多くが、外資系企業や投資銀行などによって蹂躪されそうな現在、義経の奇襲戦法が、いよいよ現実味を帯びて新鮮ささえも感じられてくる。
講演後の懇親会の席で、経営者の方々から「ライブドアのようなやり方が、日本でも当たり前のようになっていくのか」「うかうかしていられない時代だ」となどと時代の変化を痛感する声が聞かれた。
水沢市は、奥州伊達一門の留守城下の賑わいを今日まで引き継ぐ町である。長崎でシーボルトに医学を学んだ高野長英ゆかりの土地で、今年は、「生誕200年」になり、全国でミュージカル「ドクトル長英」が公演される。また、東京市長を務めた後藤新平、総理大臣の斉藤実(海軍大将)らの偉大な政治家を輩出している。岩手県は、戦前では斉藤実をはじめ東条英機、米内光政、戦後は、鈴木善幸と計4人の総理大臣を出しており、これも岩手県人、とりわけ水沢市民の誇りの一つでもある。
「小沢一郎総理大臣待望論」「小沢一郎の時代」などの著者としての立場から 「小沢一郎さんは、いずれ5人目の総理大臣になる政治家」 と評したところ、後援会長さんが、大きく頷いておられた。

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岩手県水沢市の人々もその例に漏れない。2月23日、岩手県肝肛法人会が水沢サンパレスホテルで開いた経済講演会に招かれて、「源義経の奇襲戦法に学ぶ経営術」という演題で1時間半話した。
平泉から一関、水沢江刺あたりは、源義経にゆかりの地域で、「義経ファン」が多い。とくに江刺は、NHKの撮影現場の一つで、馬を多用する時代劇では、必ず登場する。東北新幹線水沢江刺駅の構内に鎧兜に身を固めた義経のノボリ旗が立て掛けてある。NHKとの関係の深さに誇りを感じている地元の人たちの意気込みが感じられる。
駅から水沢市内に向かう。タクシーのなかから車窓風景を楽しむ。突然の大雪の名残に雪国・東北を実感する。沿道の民家などの塀に貼ってある民主党の小沢一郎副代表のポスターが、行く先々で目に入る。小沢氏の顔とこちらを指した指を、見る者の胸を刺すような大きな写真の両脇の「日本一新」「政治に一本筋を通します」という文字が飾る。「日本一新」は、旧自由党時代からテレビ宣伝でよく知られた「ワッペン」のような言葉で、「政治に一本筋を通します」というワンフレーズは、小沢氏の地元ならではのキャツチフレーズだろう。
さて源義経は、日本の戦史のなかで「奇襲戦法」の元祖のような武将である。決められた「総攻撃の日時」を目指して、「奇兵」を率いて山間、夜陰に紛れて隠密行動、思いがけない断崖絶壁や守備が手薄な敵の背後から一気に電撃的に攻撃して勝敗を決する「奇襲戦法」である。一の谷では、屏風のようにそそり立つ懸崖を駈け降り、屋島では、「この暴風こそ好機!」と船頭を叱咤して波荒い海に向けて断乎!出航し、敵陣背後に急行した。いずれも大きな危険(リスク)を冒しての奇襲であった。
そして毛利元就の「厳島の合戦」、織田信長の「桶狭間の合戦」「大石内蔵助ら47士の吉良邸討ち入り」「山本五十六のパールハーバー攻撃」と続く奇襲は、日本のお家芸と言われるようになった。
この伝統は、経営にも伝えられているとみることができる。「松下電器産業の中村邦夫社長の「世界同時垂直立ち上げ」が、奇襲的経営の実例の一つであるし、またライブドアの堀江貴文社長の「時間外取引」による「ニッポン放送株」の買い占めも、やはり電撃的な奇襲攻撃だった。
ここまで話すと義経の話が、現代にもつながってくる。遊牧民族の一種の「侵略的な経営手法」により、農耕民族的な日本の企業の多くが、外資系企業や投資銀行などによって蹂躪されそうな現在、義経の奇襲戦法が、いよいよ現実味を帯びて新鮮ささえも感じられてくる。
講演後の懇親会の席で、経営者の方々から「ライブドアのようなやり方が、日本でも当たり前のようになっていくのか」「うかうかしていられない時代だ」となどと時代の変化を痛感する声が聞かれた。
水沢市は、奥州伊達一門の留守城下の賑わいを今日まで引き継ぐ町である。長崎でシーボルトに医学を学んだ高野長英ゆかりの土地で、今年は、「生誕200年」になり、全国でミュージカル「ドクトル長英」が公演される。また、東京市長を務めた後藤新平、総理大臣の斉藤実(海軍大将)らの偉大な政治家を輩出している。岩手県は、戦前では斉藤実をはじめ東条英機、米内光政、戦後は、鈴木善幸と計4人の総理大臣を出しており、これも岩手県人、とりわけ水沢市民の誇りの一つでもある。
「小沢一郎総理大臣待望論」「小沢一郎の時代」などの著者としての立場から 「小沢一郎さんは、いずれ5人目の総理大臣になる政治家」 と評したところ、後援会長さんが、大きく頷いておられた。

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