最初は歯が立たなかった
この本が出版(2016年)されてまもなくの頃、周という時代に興味があったので図書館で借りて読んでみた。私は図書館で借りたとき、今後使う可能性があるものは短くその感想を書くことにしている。2017年2月の読後感想は「ひとつひとつの内容はわかるがむずかしい、全体的なまとまりも把握しにくい。救いは文中に金文の原文とその読み下しが多数あること。将来、金文を調べるときの索引になる」とある。そして5点満点の評価は、3・5点となっている。この評価は本の内容が悪いということでなく、私はこの本に歯が立たなかったということだ。私にとって難しすぎたのである。
西周前半期から後半期、そして春秋期から戦国期と、周王朝の歩みを新出史料を中心にして明らかにしようとするこの本は手ごわい本であった。
金文の臨書を始める
最近、私は金文をもっと深く知ろうと思って、まとまりのある金文をそっくり手書きで写し取る、いわゆる臨書をしている。テキストは「中国古代の書2 金文」(天来書院)と「中国法書選1 甲骨文・金文」(二玄社)の2冊。ページを開いて文字がしっかり分かり、あまり長くないものを選んで臨書する。
私はこのブログ「漢字の音符」で、基本となる音符を甲骨文字から楷書まで手書きして、その変遷を紹介している。金文の臨書をしていると、これまで書いたことのある文字が時々現れるので、なつかしい友達に会ったような気になる。ひとまとまりの文章を書き終えると、各行のあいだにテキストに載っている現在の字を赤字で書きこんでゆく。
これで臨書はこれで終わりである。私は文章全体の内容まで把握しようとは思わない。テキストの読み下しを読んでも分からない箇所が多いからである。しかし、ブログで掲載している特定の字についてその使用法と意味を知りたいときがある。「もっと違う読み下しと解説がないか」と思ったとき、ふと以前読んだ、あの本を思い出したのだ。日記を3年ほど遡って書名「周―理想化された古代王朝」を確認し、図書館にリクストしてもう一度この本を読んだ。
もう一度読む
感想は以前と同じで内容はむずかしいが、金文の原文と引用文献の多さに改めて感心した。巻末の引用参考文献は10ページにわたり、引用した金文の器名は3ページ、99点にのぼる。各章は引用文献のかたまりだ。(だから堅苦しい感じがするが)
本文30頁
例えば、30ページの「利簋リキ」は器の写真と銘文拓本を掲載し、本文では読み解いた文と、その日本語訳を掲載している。この「利簋」は天来書院刊のテキストにもあり、私はすでに臨書していたので、これを見ながら日本語訳を読むことができた。「この銘の解釈には諸説あるが中国古代史学の大家・楊博の説に沿って釈する」と書いてあり、金文の文字を読むにも、いろんな解釈があることがわかる。
このように器と銘文が一緒に掲載されているページは少ないが、銘文だけの掲載も結構ある。また、釈文だけの掲載も多いが、それが私の持っているテキストに収録されている拓本であれば、テキストと照らし合わせることができる。最近は、器の名前が分れば、検索すると拓本がネット上で公開されているものが多い。
こうした利点を考えて私はこの本を購入した。最初に読んでから4年後になる。臨書しながら「周―理想化された古代王朝」の器銘索引を調べて検索の手がかりとし、また「周―理想化された古代王朝」の本文を読みながらテキストやネットで銘文拓本を探し出して臨書する、ということを繰り返してゆくと、この本の内容と金文の理解が進んでゆくと思っている。以前、3・5点だったこの本の評価は、現在4点になった。さらに進めば評価5点になる日がくるのではないか。そう思えるほど含蓄の深い本である。
佐藤信弥著『周―理想化された古代王朝』中公新書 定価820円(税別) 2016月9刊行
この本が出版(2016年)されてまもなくの頃、周という時代に興味があったので図書館で借りて読んでみた。私は図書館で借りたとき、今後使う可能性があるものは短くその感想を書くことにしている。2017年2月の読後感想は「ひとつひとつの内容はわかるがむずかしい、全体的なまとまりも把握しにくい。救いは文中に金文の原文とその読み下しが多数あること。将来、金文を調べるときの索引になる」とある。そして5点満点の評価は、3・5点となっている。この評価は本の内容が悪いということでなく、私はこの本に歯が立たなかったということだ。私にとって難しすぎたのである。
西周前半期から後半期、そして春秋期から戦国期と、周王朝の歩みを新出史料を中心にして明らかにしようとするこの本は手ごわい本であった。
金文の臨書を始める
最近、私は金文をもっと深く知ろうと思って、まとまりのある金文をそっくり手書きで写し取る、いわゆる臨書をしている。テキストは「中国古代の書2 金文」(天来書院)と「中国法書選1 甲骨文・金文」(二玄社)の2冊。ページを開いて文字がしっかり分かり、あまり長くないものを選んで臨書する。
私はこのブログ「漢字の音符」で、基本となる音符を甲骨文字から楷書まで手書きして、その変遷を紹介している。金文の臨書をしていると、これまで書いたことのある文字が時々現れるので、なつかしい友達に会ったような気になる。ひとまとまりの文章を書き終えると、各行のあいだにテキストに載っている現在の字を赤字で書きこんでゆく。
これで臨書はこれで終わりである。私は文章全体の内容まで把握しようとは思わない。テキストの読み下しを読んでも分からない箇所が多いからである。しかし、ブログで掲載している特定の字についてその使用法と意味を知りたいときがある。「もっと違う読み下しと解説がないか」と思ったとき、ふと以前読んだ、あの本を思い出したのだ。日記を3年ほど遡って書名「周―理想化された古代王朝」を確認し、図書館にリクストしてもう一度この本を読んだ。
もう一度読む
感想は以前と同じで内容はむずかしいが、金文の原文と引用文献の多さに改めて感心した。巻末の引用参考文献は10ページにわたり、引用した金文の器名は3ページ、99点にのぼる。各章は引用文献のかたまりだ。(だから堅苦しい感じがするが)
本文30頁
例えば、30ページの「利簋リキ」は器の写真と銘文拓本を掲載し、本文では読み解いた文と、その日本語訳を掲載している。この「利簋」は天来書院刊のテキストにもあり、私はすでに臨書していたので、これを見ながら日本語訳を読むことができた。「この銘の解釈には諸説あるが中国古代史学の大家・楊博の説に沿って釈する」と書いてあり、金文の文字を読むにも、いろんな解釈があることがわかる。
このように器と銘文が一緒に掲載されているページは少ないが、銘文だけの掲載も結構ある。また、釈文だけの掲載も多いが、それが私の持っているテキストに収録されている拓本であれば、テキストと照らし合わせることができる。最近は、器の名前が分れば、検索すると拓本がネット上で公開されているものが多い。
こうした利点を考えて私はこの本を購入した。最初に読んでから4年後になる。臨書しながら「周―理想化された古代王朝」の器銘索引を調べて検索の手がかりとし、また「周―理想化された古代王朝」の本文を読みながらテキストやネットで銘文拓本を探し出して臨書する、ということを繰り返してゆくと、この本の内容と金文の理解が進んでゆくと思っている。以前、3・5点だったこの本の評価は、現在4点になった。さらに進めば評価5点になる日がくるのではないか。そう思えるほど含蓄の深い本である。
佐藤信弥著『周―理想化された古代王朝』中公新書 定価820円(税別) 2016月9刊行